教育の効果と自助努力

昨日、台湾の花蓮で地震があった。 ニュースを見て、マーシャルホテルが潰れていた。

もう、40年も前だが、ここに滞在した事がある。 当時は「統帥大飯店」漢字が違うかも、発音は、トンシュイだ。

一階に土産物屋がはいっていて、売り子の、お嬢さんと知り合いになった。

彼女の姉が、店のオーナーで、彼女は日本語を少し話した。わたしの下手な中国語とでなんとか通じた。

彼女も台北の学校が休みで、姉の店でバイトしていたのだけど、一週間ほどあちこち案内してくれた。

湖があって、ボートを漕ぎなさい、と言う。暑いからイヤだと、断ると、湖に来て、ボートに乗らないのは、おかしいと強く主張してケンカになった。

花蓮は大理石で有名だが、それで彼女のオヤジさんはセメント工場をやっていた。

その後彼女は、アメリカに行ったり、日本に来たり、今は出家してお寺にいるから、あまり連絡が取れないが、花蓮ではないので安心だ。

教育の効用と自助努力

ほかと違って、教育の投資は引き合い、その効用も大きい、と言える。

だが、その効用、結果として得られる利益は、人によって異なる。

これは、塾で受ける授業や教材のほかに、各自の自助努力が欠かせないからである。

もちろんラーメン屋に行って、700円払って「あーぁ、美味かった!腹一杯」
という喜びよりも、もっと質の高い効用を感じるはずだ。

つまり、人間は、自分が努力した結果からより満足が得られるからだ。

受動的な結果では、あまり感動しない。

テニスでも、コートでラケットを振り回すほうが、テレビで観るより楽しいはずだ。

小さい頃は子どもを連れて、友人とキャンプなどによく出かけた。

夏休みの、海辺では、夜の楽しみは、やっぱり花火だ。

子どもたちも「したい!」とせがんだが、友人の奥様が、えらく締まり屋さんで「よその人の花火を見ても同じよ」と花火を買ってやらぬ。

しかし、他人の花火を見る楽しみより、自分で火をつけ、振り回して「キャー、キャー」言うのはやっぱり楽しいと私は思う。

塾では「合格しました!先生のおかげです」
「頑張ったのは、ご本人が一番ですよ」

ところが、ラーメン屋で「美味しかったです、ご馳走様」
「 お客さんが、努力して味わってくださったおかげです。」
とはならない。美味いラーメンは、誰が食べても美味しい。

シェイプアップの「ライザップ」だって3ヵ月に30万円くらい払えば、10キロくらい減量の手伝いをしてくれる。

しかしその後は、分からない。 食事や運動など生活習慣、は長続きしまい。

学習や運動、健康を保つには、時間がかかる、自助努力や意識を変える必要がある。

自らも必死でやって初めて、ようやく「あぁ、勉強とはこんなものか…」と納得していくのだ。

塾に行くのも、次のテストの点を上げる、
短期的な目標ではうまくいきにくい。

病院に行って薬飲んでその場は治っても、運動や食習慣も、自覚して続けなければならない。

魚を買うのではなく、魚の釣り方を、覚えて欲しい。

生徒さんの人格形成から、お手伝いができれば本望だ。

カゼで学級閉鎖の、学校も多いですね。お大事にしてください。 引いてない人も暖かくして過ごしてください、もうすぐ春ですよ!

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