40回目の同窓会


40回目の同窓会

先週は急に寒くなった為か、不調で、ずっとノドが痛かった。 ブログも更新できなかった、申し訳ありません。

木曜の夜には、夕食のラーメンを食べるのも、飲み込むのが苦しくなった。

幸いに、金曜日は、アルバイトのトッキーとホノちゃんが、二人とも来てくれるので、思い切ってお休みさせていただいた。

というのも、土曜日は、高校の40周年同窓会がある。

是非とも出席しないといけない。

それで、金曜日は、ロキソニンを4時間おきにのんで、ずっと横になっていた。

何と、神は見捨てなかった!

土曜日には、熱も下がり、痛みもマシになった。

それでも正午まで用心して、ベッドの中に入っていた。

準備委員長のXには「1時に来い」と言われていたが、遅刻である。

三ノ宮から、今回は、タクシーでピャーッ🚕と行ったが、お日柄も良く、行楽や結婚式で道路は大混雑だ。

5分経ってもまだ、加納町の交差点で、トロトロしている。


ANAプラザの前で止めてくれるよう、言うが、タクシーは新神戸駅側の正面入り口にしか着けられぬ、と言われた。


到着して、10階まで、エレベーターを使わず、エスカレーターで、ダーっと上った。

さすが、病み上がり、息切れする。

さっそく、Xに遅刻の言い訳をするが「アホ!」と頭を叩かれた。校長は恐いのだ。

こういう時は、岩牡蠣戦法、くっついて何かあれば仕事を分捕るー作ることに限る。

さいわいというか、Xが最後にもう一度「司会の流れをおさらいしたい」と言う。

この辺り、Xは慎重というか、じつは気が小さいのである。

私、「じゃあ、オレが先生や、挨拶のマネするから」とリハーサルを一緒にすることになった。

ご案内のくだり「…、どうぞこの後、ご歓談ください。お飲み物はビール!?」

「そうや、Yが、キリンに勤めてるから、ビールの銘柄はキリンで頼むから、言われたんや。このあいだ寄付もらったし…。ホテルの人に確認して、急ぎ、急ぎ」

繊細なX、そんなことまで気にしていたら、早死にするぞ。

いちおう確認に行ったら「Z君、勤め、アサヒやで」と周りから声がかかる。

どうするんだ、X、頭を抱えている。

ホテルの人が「よくございます、各テーブルの乾杯用がキリン、後ろのバーには目立つようにアサヒを積み上げて置きます」

「さすがクラウンやで!」Xは安心した。


3時に会は始まったのであるが、192人出席!
450人中だから、60歳前としては、成功だ。

X、よく頑張ったね。

やはり、みんなの話を聞くと、
「5年後はまだ、忙しいから、出席できないだろうし、
10年後となると、自分が来れるか不安。結局、今回が最後になるかな?」

成功は成功だが、実際のところ「線香花火の消える前の輝き」ということか。

ホロ苦い思いだが
「下のレストランでは五千円のワインを、出してくれている」という話しが広まると、皆、呑む。呑む。

192人がワインを飲む、192人がビールを飲む!

私もノド痛どこでではない、浴びるように呑んだ。

12本入りのワインケースが、エレベーターで次から次へ上がってくる。

クラウンプラザの人も、酒が切れたら、一人でも小うるさい、ジジイやババアが192人!

どんなに騒がれることか、ゾッとする思いだっただろう。

私が当初依頼された、スライドショーも、1か月前と同じ出来映えで、あった。

セピア色の、写真、BGMはやはり、アメージンググレイスとジュピター、それにユーミンの「中央フリーウエイ」か何かが少し入った。

Xが「おまえの意見の歌謡曲も入っとうやろ?」得意気にいった。

イヤ、明るい曲が欲しかったんだがー 。「中央フリーウエイ」は失恋💔の曲だろう。

セピア色の思い出には、ポップな感じ、同世代のキャンディーズやピンクレディが良かったと思うけど?



恩師のS先生も、先月は10日間も入院なさったのに、ご出席、好調である。

「1か月ぶりの酒はうまいわ、ワッはワッは」

先生は本来なら、日本酒であるが、今日は美味しい赤ワイン。

やはりホテルなので、ワイン一杯の量が上品である。S先生のテーブルは、空グラスで溢れている。

84歳、未だ現役、週三回、H高で漢文を教える。

「東北出身の四男坊!体も精神も鍛えが違う!」

私もあやかりたいものです。

酔った先生から、昭和40年代の県芦の話しを聞く。

「昔は、芦屋からも東大あったんやで」から始まって、各高校の名物先生談をお伺いした。

フィリピンで日本軍の通訳をして、復員後、県芦、のちM女子大教授の英語のY先生。

この先生は、以前、私も予備校でご一緒させていただいた。

それから、S先生の兵庫県での、国語の師匠で、漢文学者のM先生のお話を聞けたのも、有難たかった。


友人では、Sが、北海道での26年にわたる教員生活を終えて、4月に戻って来る。

Sは、ラグビー部だって190cm100kg近くある巨漢だが、高校の時から、何というか私とは、ウマが合う。

昨夜も
「北海道の冬、寒いやろ?」
「そうやでー、厳しいでー」
「クマも出るやろ?」
「クマ出る、怖いでー」
こんな調子で内容はないのだが、ウダウダ続く、

来春から呑み会が増えそうです。

3時から5時半が、一次会。150人くらいになって、同じ10階の別の会場で二次会。

話したり、写真を撮ったり、8時迄、さすが、ホテルも困ったのであろう、二次会のツマミは、柿ピーなど乾き物になった。

しかし84歳、恩師のS先生始め、5時間、飲みっぱなしであった。

私など、カゼひき小僧は、三次会に連れて行かれても、叶わなぬ。

タクシーでトットと帰宅したのである。

酒でも、何でも、敵わない、恩師や友人達に恵まれて私は、幸せだと思った。

 

先生、叱られる!

先生、叱られる!

この間の、同窓会の準備で、先生は叱られてしまった。

10月8日月曜日は、体育の日で祝日だった。

高校の同窓会の準備だ。

布引のANAクラウンプラザに、三ノ宮から、トボトボと歩いて行った。

秋晴れの、鰯雲。

トボトボには、わけがあって、お正月のS先生喜寿のお祝いの時「手伝ってくれ」と言われながら、三連続で準備会に出席できなかった。

「申し訳無いなあ」という思いである。

それぞれ、風邪、仕事、とか理由はあるが、忙しいのは誰でもだ。

それに今回は、準備会長のXから、スライドショーを頼まれていたのだが「11月の同窓会やから、10月になってから、やろか〜」と思っていた。

ところが、10月に入ってすぐにXから電話があって「もう、スライドショー、ええで!」

「エっ!」
「俺がもう作ったから!」

いきなり、役立たず攻撃された。 しかしわたしも人生を経たジジイだから、そんなことには動じずに、サラッと返す。

「申し訳ない、X先生も忙しいのに、ありがとう」

実際、現在、Xは県立高校の校長である。 多忙だろう、しかし、結婚式などのスライドショーだって、前日に徹夜して作ることが多い。

おもだった人には、前日に前乗りで来ていただいて、持参頂いたお写真を複写したり、インタビューしてまとめるものだろう。

資料集めや、インタビューしにあちこちに行くのも、大層な事だし、わざわざ訪問される相手だって、迷惑だろう。

そのスライドショーの試写を会場でやるから、見に来い、という事である。

是非とも行って「スゴイ、スゴイ!」を連発せねばならぬ。

セピア色の写真を次々と、15分にわたって、見せられた。

「素晴らしい!問題ないよ!ありがとう」
付け加えて、わたしは、控えめに、BGMがやや「暗いのちゃうん?」と述べた。

アメイジンググレースとジュピターがそれであった。平原綾香さんひとりで15分は荷が重い。

わたしは、キャンディーズやピンクレディも、少し入れてはどうか、と提出した。

70年代には欠かせない存在だ。

キャンディーズは1975年「年下の男の子」でデビュー、78年解散。

ピンクレディは76年「ペッパー警部」でデビュー、78年まで8枚曲、1400万枚を売上。まさに同時代といえるのだが…。

「そんなのは、二次会でエエやろ!」
元日本サッカーユース代表でもある校長は、一蹴した。

「〜部のキャプテン誰やった?」写真にうつるかつての友人の名前がでてこぬようだ。

その場の誰もが覚えていなかった。

X校長の頭の中は、パワーポイントの空白を埋める作業で一杯だ。

試写会のあとは、お疲れ様会で、食事に行った。

三ノ宮までのタクシーの車中、ワーワー言って、運転手さんにも「喧しい!」一喝された。

校長はその祝日も朝から、高校に出勤で、空腹だ。「串カツが食べたい」とおっしゃる。コレステロール値は大丈夫かな?

女性4人、男性4人の8人になっていた。

駅の北の小さな串カツ屋に入る。

ここではまた、校長が指導なさる。「みんな一種類づつ、食べたいの、言えや」それぞれが、レンコン、アスパラ、などという。

最後に校長が「ここは出汁巻の串カツが美味いんや」注文する「8種類づつ8人やから、ハッパ64本!」

みんな還暦前である、夜8時だ。いいのか?

ビールの中ジョッキが安い。190円だ。 それぞれ4、5杯、飲んだ。 わたしもまあまあ、よく食べるし、飲む方だ。

しかし、8人全員が落伍者なしに「みんな健康に恵まれて、よかったな」、完食した。

ひとりが抜けて、7人で「ワインを飲みたい」と、二件目。

その店も安くて美味しい。ワイン1本、千円くらいだ。 クラフトビールもあって、珍しい。

また4、5杯飲んでしまった。

「迎えに来てもらおう」X校長の奥様は同じ高校出身で、12歳年下である。 Xは自慢である。

私も以前のバイトの後輩が、奥さまの友達で、お二人がお付き合いしていた時からよく聞いている。

二人のお子さんも、同じ高校出身である「俺が家族で一番アホやわ!」

X校長がこう自慢できるのも、上手くいっているからだ。

それぞれ、みんな元気でなによりだ、感謝せねばなるまい。

だが、ここに居ない人もいる。 幾人かが思い出された。ひとりになった帰りの車内で、ペットボトルのお茶で献杯した。