偏差値で差別してはならない
ひとを偏差値で判断してはいけません。
まして、ひとをその通う学校で、馬鹿だ、とか悪口を聞きますが、絶対にしてはいけない。
偏差値は入試の時の、目安に過ぎません。それは数字でしかない。 走るのが100m、15秒だとかいうのと同じです。
もちろん普通なら15秒かかる、100mを10秒で走れるのは、素晴らしい。それがオリンピックやパラリンピックで、達成されたら皆んなに賞賛を受けて当然だ。
しかし受験の目安の偏差値には、そんな価値はありません。
ただ、学校の勉強の能力と、役所や企業の仕事は似た所があり、勉強ができる人は仕事も良くできる傾向がある。
ですから、受験ランクの偏差値を、仕事のランク、特に採用時の会社のランクに取り違えているだけです。
偏差値社会を取っ払うために例えば、大学は入学したい人を全員合格させ2、3年かけて、勉強しなければドンドン留年させる。
また、企業は就職希望者全員採用して、仕事ができなければ解雇して構わない。
しかし、そんなことは非現実的で、理科の実験のように、人生で実験出来ません。だからそうしないだけです。
だいたい、一流企業に就職して出世すればエライのでしょうか?
東京電力の幹部は福島原発で多くの人に被害を与えた。電通の社長は職員に過剰労働をさせた。東芝の歴代社長は、ウソの会計処理をした。神戸製鋼は検査報告を偽造した。
日本を代表する一流企業のエリートの道徳心の偏差値は低いのです。
勉強が出来て一流会社に入っても、立派な人とは限りません。 持っているカネや特権で尊敬されているのです。 退職すればタダのオッサンです。
また、女性の家事労働、育児、などは勉強の偏差値では評価すらされません。 退職したオッサンの家事労働の偏差値はさぞ低いでしょう。
中学の偏差値なんて、人のほんの一瞬の姿を映した影法師に過ぎない。それすら知らず、人を馬鹿にしたり、差別する、愚か者がいる。
偏差値で人間を判断できない。
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生活の基本である衣食住の偏差値は正当に見積られていません。 家事の一部は家事代行業で、格安でアウトソーシングされます。
育児の代替サービスである、保育士の給与も次の世代を育てる、親が手塩にかけてする仕事の割に安すぎます。
つまり男性社会が、勉強中心の偏差値社会を作り上げ、家事・育児といった「女がする」仕事の偏差値がない!家事を金銭で測り難くしたとも言えます。
それに比べて、英数国理社といった座学とその延長の、文系事務職の給与は高過ぎる。
一方、家事や職人など実技の偏差値がないか、無視される位に小さい。
これが今日の座学を、重視し過ぎの偏差値教育の弊害である。
本来、被害者である座学が苦手な生徒たちに苦行を強い、分裂させ、自信を失わせ、自傷するかのように仲間を虐めるのである。
勉強は自分を大切に磨くこと