どじょう鍋

どじょう鍋

お盆に靖國神社にお参りしたとき、浅草で、どじょう鍋を食べて来た。
子どもの頃、昭和40年代はじめでも、まだ、どじょうやイナゴは代用食だった。
しかし、これは美味いものではなく、どじょうは、泥臭く、骨ボネしかった。
新幹線が開通して、3時間半で東京に行けるようになり、その頃から、祖母が靖国神社に毎年、お参りするようになった。
「o o 兄さんのお参りをさせたい」ひとりでは難しい東京旅行の言い訳に、孫を連れて行くことにした。
大人にご挨拶が上手な私がお供に、選ばれることが多かった。 
泊まるのは、知り合いの家や下町の旅館だった。
浅草あたりの、ソバやお寿司などの食堂によく行った。 その時のどじょう鍋は美味しかった。
どじょう自体が骨も泥臭さもない。
甘辛く煮て、ゴボウやネギを合わせて、卵でとじる、柳川鍋はいくらでも御飯が食べられた。
靖国神社にお参りして、いささか心に重みを感じて、ご供養のお下がりのように食べる、どじょう鍋の味は相変わらず、甘辛い。
今はもう、米飯ではなく、酒を飲む。 ゆっくり飲む。
そして、来し方行く末を想うと、若くして散華した英霊や亡き祖母がそこに居るようだ。
窓の外の隅田川。遊覧船の灯りが精霊流しのようだ。 お盆だな、と思う。
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ミニ同窓会

ミニ同窓会

火曜の授業が終わってから、下の松屋で御飯を食べていると、塾の卒業生さんに二人も会った。
ひとりは、Y君で、御影中学から葺合高校、関西大学に進み、就職して6年目だ。
可愛い女性といっしょで、実家に帰ってきたという。 幸せそうでした、良かったね。
もうひとりはA君でやはり御影中学出身だ。 妹さんも小学校から、いっしょに塾に来ていて、私は、彼女の思い出が強い。
5年生の頃だったか、彼女はスパイとか探偵に夢中になって、塾にも、サングラスやつけ髭の探偵セットでふん装して、やって来た。
もうひとりの5年生の女子も、間も無く、スパイ遊びが気に入って、小学5年生が二人で、帽子やマスクをつけて、通塾するようになった。
お家から塾までの10分くらい、ふん装して来るのが、堪らない刺激だったのか、「今日はこれこれで、来たよ」と言って、もうひとりの子と、爆笑すると納得してふん装を取って、勉強するのである。
これで困ったのは、帰り道はテンションが下がり、ふん装を、預けて置いて帰るのだ。
半年ほどで、小道具が箱いっぱいになった。 そして、唐突に、スパイ遊びは終わった。
でも、小道具はまだ置いて欲しいと言う。 整理して小箱に入れ直したが、2年ほど置きっ放しだった。
中学に入ってしばらくたったある日、「まだ、ある?」
探し出して見て、また、みんなで爆笑した。 それが最後で「もういらない」と捨ててしまった。
その妹さんも結婚して、子どもさんがいるとの事だ。 スパイセットを置いておけばよかった。
夏のお土産、ありがとうございました。
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