御影中3数学期末過去問

御影中学3年、平成30年数学過去問

今日は昨年の、1学期期末テストの数学過去問を研究しましょう。

先週の土曜日の授業で、中学3年生の皆さまは、もう平方根の、易しい、基本問題など、軽く出来るので、過去問をしたい、

ということがあった。 それって、ワークをするのが面倒くさいからだけではない?

では、って見せたら「平方根ばっかり!」

やっぱり、平方根の練習問題をコツコツとすることに勝る近道なし。

There is no royal road to study mathematics.

生徒たちにも、一発で納得、昨年の御影中学3年、期末テストは、ほぼ平方根から出題でした。

今年も、昨年ほどではなくても、テスト前の勉強は「平方根」に絞ったほうがいい、頑張れ👍中学3年生!

夏のボーナス前、大サービス!お答え付き

ところてんの味

ところてんの味

昨夜は、塾の帰りにところてんを買って食べた。

ボクはこの、ところてんが、小さい頃から大好きで、十円とか二十円持って、駄菓子屋の店先や、立ち飲みの酒屋さんで食べた。

みなさんは、お好きですか?

そんな昔の食べ物なんて知らないよ、というが、奈良時代か、平安からあるんです。

池波正太郎さんの、時代小説「鬼平犯科帳」などを、読んでいても、登場人物が夏の盛りの暑い日に、涼しげに、ツルツルといただく描写がある。

江戸時代でも、安価で庶民の食べ物だったらしい。漢字では「 心太」と書く。

こういう本を読みながら、時代小説を楽しみます。

ところてんの味は、案外どぎつい、酢醤油か黒蜜で食べる習慣だ。

これは、テングサを煮出して、ところてんを作るが、水煮だけでは、海藻エキスが出にくい。

そこでお酢というか、酢酸を加える。 その酢が抜けぬから、 酢醤油や黒蜜で 誤魔化すと言っていい。

しかし、ところてんのファンにとっては、なんとも言えない酢の匂いが、魅力である。駄菓子屋のおばあちゃの匂い 家の香りを漂わせるようだ。

もちろん カロリー ゼロというのも嬉しい。

さて中学3年生は、無事に現在完了と 平方根が終わった。 期末テストの二週間前にここまで仕上げて安心である。

単機能レンジ

単機能レンジ

電子レンジが壊れた。

昨夜、家に帰ってコンビニ弁当🏪を温めようとしたら、ダイヤルが、クルっと空回りした。

ダイヤルを押しても引いても、タイマーが⏲かからぬ。

いまどき、「手動かよ!」って笑われそうだが、

わたしのイトコのダンナが、今は武庫川女子大で教えているが、昔、大塚製薬で、ボンカレーの開発をしていた時に、

「全自動レンジはイカン!」とか、よく聞いたので大好き❤な、ボンカレーのために、ずっと手動レンジを使っていると言っていい。

だいたい、お酒のあとの締めのラーメン🍜や、カレー🍛は美味し過ぎる。

体には良くないだろうが、止められない。

うまくカレー屋さんに、寄れず、家で明け方に食べる、ボンカレーは最高だ。 それに特売なら百円という潔い値段がイイ。

昭和生まれのボクは、味にとやかく言わない。 ミンチカツなら、ウスターソースをドバッとかける。

アジフライなら、ケチャップとマヨネーズを混ぜた、悪魔の味覚、オーロラソースを添えて、ご飯🍚二杯はいける。

まあ、味覚、お子様なのだ。

閑話休題。

今どき電子レンジなしでは、一日とて日が送れないではないか、

早速、アマゾン・ゴー。

だが、何と、国産の手動電子レンジが殆ど売ってない、ガーン!

仕方なく、ヤマゼンだか、マルゼンだか、中国製を購入。 値段が安い、安いが、六千円は逆に心配だよ。

単機能レンジ、一つで、深夜まで大騒ぎである。  レンジなんて、6、7年は買い換えないから、いいか。

しかし、六千円レンジでは、買い換えサイクルが、2、3年になるのだろう。

次回は、大好きなボンカレーをチンする、手動レンジも、中国製でも、全自動になるのだろうか?

ボンカレーも全自動対応できるのか?

もう寝る時間である。バカげた事を、眠い💤アタマで考えた。

冷えたお弁当は、生温くなって、それでも、美味しい。 物足りないので、冷蔵庫に常備しているメカブを冷奴にかけて食べた。

中学3年生の皆さま、今日、水曜日は、部活がないということで、塾がありますよ。

感謝!感謝!感謝!

感謝!感謝!感謝!

お久しぶりのブログになってしまった。

世間ではもう梅雨の時期である。

中間テストは、塾の生徒さんは、

中学1年生で、400点〜が4名、2年で2名、3年は残念ながら350点〜2名だが

入塾テスト無しの個人塾としては、生徒さんも先生も頑張っているのではなかろうか?

期末テストまであと2週間、われわれ先生も、生徒さんたちと一緒に全力で、成績アップ⤴️に努力、努力である。

応援してくださる お家の方々には、感謝します!

また、部活で疲れていても、熱心に取り組んでいる生徒さんにも感謝です。

さて、昔、昭和の頃はどうだったんだろう?

今では考えられないが、テスト前日は12時を回るまでやった。

ウチだけでなく、よそもそうだった。

日にちが変わる前に、明かりが消えているのは、勉強してない塾のようだった。

お家の方が みんな塾の玄関先まで、迎えに来て「お疲れ様でした」 とかお声がけをいただき、帰って行く生徒さんも、われわれ先生も誇らしかった。

仕事帰りが12時とか、ご父兄もいらして、まあ、時代が 「結果はともかく、途中経過、一生懸命にやったね」

で評価してくれる余裕があった。

今は、法令遵守、コンプライアンス重視で、残業無しの定時退社でも、目に見える結果が必要だ。

思えば、「世知辛い世の中になった」と言うと「時代錯誤!」となるので、あまり大声をだすまい。

しかし、考えてみると、生徒全員が同じ能力や、状況ではない。

英語ができない、数学が苦手など、人それぞれだ。

中学で数学が良い点で理学部入ったが、ついて行けず、文科系に転向、ネット通販やってます。

数学が苦手だったのに、船舶の設計をやっている、とか中学の時の途中経過とは、異なった仕事をしている、かつての生徒さんもいる。

中学の時の途中経過では、判断できない、不思議さが人生にはある。

まったく、運次第だけど、結果だけでは、決められない事ってある。

だけど、最近では、不動産の営業にしても、売ったマンションの数が勝負で、何件のお客様をお迎えしたか、訪問したか、はどうでもいいらしい。

それでは、オヤジが政治家とか、ものスゴく有利ではない?

結論は、それでいいのだ、そうだ。 だから不動産の営業マンは、体力や根性ではなく、まして知力ではない、家柄のいい人のほうが採用されて、会社も、儲かっている。

それが、令和の時代?

やっぱり、わたしは古いのだろうか、取った点数はともかく、机に向かった時間もある程度は評価したい。

小学校低学年の子が、百字帳いっぱいに、黒ぐろと、鉛筆の✏️こ擦り跡を出してくれると、泣きたくなる。

( 実際、今年、鷹匠中学の1年は英語の百単プリント30枚で、定期テストに1点プラスらしいが、いい話ではないか?)

漢字小テストは70点でも、うちの塾は80点が合格💮だが、再テストは「堪えてやって〜」と思う。

しかしこの実力主義、成果主義の時代、二回連続して、70点なら、再テストをしない訳に行かない、心を鬼にして👹も。

だから「補習授業は要らない、週2回2時間で結果を出して」と最近のご父兄様に言われるとツライのである。

「たくさん補習していただき、ありがとう」と言われた昔が懐かしい。

やっぱり子どもたちは、子どもである。 時間かけて忍耐して育てていくしか無い、のは古いのだろうか?

子どもに媚びず、厳しめに、時間をかけて少しずつ点数をあげて、塾自体も強くなる、広告せずに人気がある、それが一番いいのだがと思う…。

沖縄の小学生革命家ゆたぼん君

不登校小学生「ゆたぽん」について語ろう

さて今週に入ってお湿りだが、だんだんと暖かくなってことが実感される。
中間テストもすぐ10日ほど先に近づき塾では勉強ムード一色だ。
昨夜は、中学1年の数学、ミニテストを7本やったが、早い人で30分くらい。
満点以外は、間違えた所を全部直して、80点以上が合格、それ以下は、再テストにした。
調子が良くない人は、60分、7回分、再テストを頑張って授業を終えた。
また、英語でもミニテスト大会を水曜日の夜に予定しています。 ただ 「出来ない」がっくりとか落ち込んでるのはあまりない。
一種のスポーツのように、楽しくは、無理だけど、軽くやったみる、何度もトライする事が大切です。

さて最近、ネット上で話題になっている、いわゆる沖縄の小学生がyouTube で「学校に行くんなんて無駄ではないか?」という動画が出回っている。
「登校拒否しましょう、宿題など不要」っていう風な主張してて、それについて非常な賛否の議論がある。 
私について考えて考えてみると、

健康的に登校ができない、あるいは、いじめられる、あるいは多くの人混みに耐えられない、など登校出来ない理由は様々だ。
ここでは、小学校教育の利益になるか、不利益になるかという点から考えてみよう。

例えば、歯医者などに虫歯になって行くとする。その場合、これは治療は辛いし、お金もいるし、時間がかかる。

ほとんどの人はその痛さとか、金銭的不満だとか、まあ時間を取られるとか、まあそういうことを乗り越える。
ああ、これは治療をしようという風に考える。
それは当たり前のことであって歯医者で味わう痛みなどの不利益と、歯を治療して健康な歯になることのメリットを考えた場合、当然、直すべきだと考えるからである。

では翻ってこの事を小学校教育を受けない場合の不利益について考えてみよう。
最近では、インターネット、スタディサプリや YouTube など、昔は放送大学、昭和時代にも放送大学ということでテレビで授業を受けることができた。
しかしながらそこまで効果があるものなのであろうか?
今リアルな学校で友達と一緒に学び合うとか、友達と競争するとか、これらを通じて、社会性を身につけるとか、まあそういうことが、やはり12歳の小さい、ゆたぼんくんには、どんなものだろう? 不必要かな?

学校に行けない例えば病気でずっと長期に入院が必要な病気、小児腎臓病とか明らかな疾病っていうのは別にして、あるいは学校でいじめられました、とかあるいは学校に溶け込まない、馴染めないという風な、ことで考えてみると、ゆたぼん君は「宿題がイヤだった」らしいが、登校出来ない理由も人それぞれ濃淡がありそうだ。
一方、その学校の勉強から得られる利益、学校へ行って、月曜から金曜まで朝8時ぐらいから3時ぐらいまで、毎日毎日6時間程度勉強するというのは、それが積み重なったら、もうこれは超えられないくらいの知識の量は増大する。
そしてまたその知識の増大っていうものは、そのまま社会生活に直結する。
就職など、社会生活には、そういう学校で学んだ知識が、当然、前提であって、だからみんな少しでも偏差値の高い中学校・高校・大学っていう風に目指していく。
特殊な才能、ユーチューバーであるとか、野球選手、芸術家。
そういう風な、趣味や遊びが、仕事になって、飯食って行けるって言うのは非常に少ない。、やはり後々、やはり学校教育にかなわないのではなかろうか?
そう考えると、もちろん小学校にまあ行くのは義務ではなしに権利だと捉えて、じゃあ病気ではもちろんいけないけれども、まあちょっと不具合があって行けない。
これはも自分からその不利益を受け入れて、将来受けるかもしれない不利益に比べて、それだけ学校休むメリットべきがあるかどうか?
このうたぼん君の場合はどうであるか。ご本人はまだ他愛のない YouTube を投稿しててその裏側にはほとんど思想性は感じられない。
それを促しているのはもっぱら父親であると考えられる。で父親は YouTube の利益のことしか考えてないように見える。

ただこういう風にネットで非常に問題になりだしたというのは、沖縄新報っていう風な沖縄の革新的な権威ある新聞が、沖縄もこのような小学生がいてもいいんじゃないか。
新しい生き方じゃなかろうかって、いう風な一過性のキャンペーンを張ったからだろう。
しかし私たちは、雑音にとらわれずに、
冷静になって、王道というのは我々は社会人となり、就職をし、家族を作る人は作りあるいは、まー、よりよい幸せを得るために生きている。
生活をしてより幸せを生きるために、一番そのうちの楽な方法というのは、これはある程度勉強する。
そして勉強ができるから、それに社会性がついてきて、どなたにもお役に立てる能力を作るって、生きていくのがよかろう。
ただし言えるのは、登校拒否にはまあ色々事情があり、止む得ないこともあるし、教育は義務ではなく権利であり、自己決定権の範囲内だと考えればいい。
しかしそれから生じる不利益っていうのも、十分に考慮して学校教育に代わる何かタレント的なものあれば、社会に受け入れやすい。だから、批判するばかりではなく、ゆたぼん君のような才能、こういうものを持っていくことはとても大事だと思います。