沖縄の小学生革命家ゆたぼん君

不登校小学生「ゆたぽん」について語ろう

さて今週に入ってお湿りだが、だんだんと暖かくなってことが実感される。
中間テストもすぐ10日ほど先に近づき塾では勉強ムード一色だ。
昨夜は、中学1年の数学、ミニテストを7本やったが、早い人で30分くらい。
満点以外は、間違えた所を全部直して、80点以上が合格、それ以下は、再テストにした。
調子が良くない人は、60分、7回分、再テストを頑張って授業を終えた。
また、英語でもミニテスト大会を水曜日の夜に予定しています。 ただ 「出来ない」がっくりとか落ち込んでるのはあまりない。
一種のスポーツのように、楽しくは、無理だけど、軽くやったみる、何度もトライする事が大切です。

さて最近、ネット上で話題になっている、いわゆる沖縄の小学生がyouTube で「学校に行くんなんて無駄ではないか?」という動画が出回っている。
「登校拒否しましょう、宿題など不要」っていう風な主張してて、それについて非常な賛否の議論がある。 
私について考えて考えてみると、

健康的に登校ができない、あるいは、いじめられる、あるいは多くの人混みに耐えられない、など登校出来ない理由は様々だ。
ここでは、小学校教育の利益になるか、不利益になるかという点から考えてみよう。

例えば、歯医者などに虫歯になって行くとする。その場合、これは治療は辛いし、お金もいるし、時間がかかる。

ほとんどの人はその痛さとか、金銭的不満だとか、まあ時間を取られるとか、まあそういうことを乗り越える。
ああ、これは治療をしようという風に考える。
それは当たり前のことであって歯医者で味わう痛みなどの不利益と、歯を治療して健康な歯になることのメリットを考えた場合、当然、直すべきだと考えるからである。

では翻ってこの事を小学校教育を受けない場合の不利益について考えてみよう。
最近では、インターネット、スタディサプリや YouTube など、昔は放送大学、昭和時代にも放送大学ということでテレビで授業を受けることができた。
しかしながらそこまで効果があるものなのであろうか?
今リアルな学校で友達と一緒に学び合うとか、友達と競争するとか、これらを通じて、社会性を身につけるとか、まあそういうことが、やはり12歳の小さい、ゆたぼんくんには、どんなものだろう? 不必要かな?

学校に行けない例えば病気でずっと長期に入院が必要な病気、小児腎臓病とか明らかな疾病っていうのは別にして、あるいは学校でいじめられました、とかあるいは学校に溶け込まない、馴染めないという風な、ことで考えてみると、ゆたぼん君は「宿題がイヤだった」らしいが、登校出来ない理由も人それぞれ濃淡がありそうだ。
一方、その学校の勉強から得られる利益、学校へ行って、月曜から金曜まで朝8時ぐらいから3時ぐらいまで、毎日毎日6時間程度勉強するというのは、それが積み重なったら、もうこれは超えられないくらいの知識の量は増大する。
そしてまたその知識の増大っていうものは、そのまま社会生活に直結する。
就職など、社会生活には、そういう学校で学んだ知識が、当然、前提であって、だからみんな少しでも偏差値の高い中学校・高校・大学っていう風に目指していく。
特殊な才能、ユーチューバーであるとか、野球選手、芸術家。
そういう風な、趣味や遊びが、仕事になって、飯食って行けるって言うのは非常に少ない。、やはり後々、やはり学校教育にかなわないのではなかろうか?
そう考えると、もちろん小学校にまあ行くのは義務ではなしに権利だと捉えて、じゃあ病気ではもちろんいけないけれども、まあちょっと不具合があって行けない。
これはも自分からその不利益を受け入れて、将来受けるかもしれない不利益に比べて、それだけ学校休むメリットべきがあるかどうか?
このうたぼん君の場合はどうであるか。ご本人はまだ他愛のない YouTube を投稿しててその裏側にはほとんど思想性は感じられない。
それを促しているのはもっぱら父親であると考えられる。で父親は YouTube の利益のことしか考えてないように見える。

ただこういう風にネットで非常に問題になりだしたというのは、沖縄新報っていう風な沖縄の革新的な権威ある新聞が、沖縄もこのような小学生がいてもいいんじゃないか。
新しい生き方じゃなかろうかって、いう風な一過性のキャンペーンを張ったからだろう。
しかし私たちは、雑音にとらわれずに、
冷静になって、王道というのは我々は社会人となり、就職をし、家族を作る人は作りあるいは、まー、よりよい幸せを得るために生きている。
生活をしてより幸せを生きるために、一番そのうちの楽な方法というのは、これはある程度勉強する。
そして勉強ができるから、それに社会性がついてきて、どなたにもお役に立てる能力を作るって、生きていくのがよかろう。
ただし言えるのは、登校拒否にはまあ色々事情があり、止む得ないこともあるし、教育は義務ではなく権利であり、自己決定権の範囲内だと考えればいい。
しかしそれから生じる不利益っていうのも、十分に考慮して学校教育に代わる何かタレント的なものあれば、社会に受け入れやすい。だから、批判するばかりではなく、ゆたぼん君のような才能、こういうものを持っていくことはとても大事だと思います。

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