X 校長からの招待状📩
高校の同窓会長 X 校長から、招待状が届いていた。
これまでのX 校長との出来事。
校長に叱られた!
先生、叱られる
40回目の同窓会
40回目の同窓会
しかしながら、年末をむかえ明日、土曜日は超多忙で、十時間くらい働かなくてはならない。
それで先ほど、泣く泣く、お断りのメールを送って意気消沈している。
ところで、その X 校長からの挑戦状の文面が、面白かったので、それだけでも、書いておきたい。
今回は、先月の同窓会の反省会が、大義名分だ。
12月15日土曜日、つまり、今日の午後3時に集合である。
そして、写真の「本日の予定」① では、4時までが、反省会である。
会議終了後、15分間、記念撮影🤳の時間を割いて、スケジュールするなんて、X ならではの細かな気配りが目を引く。
退職後はツアーコンダクターを目指しているのか?
そして、一次会会場の 王子公園 「ちょい飲み」
まで30分。 これは徒歩だろう🚶♂️
本日の予定③ によると「ちょい飲み」🍻で 16:45 〜 18:00 と、1時間ほどで、慌ただしく一次会は終了。
一次会が終わり「ご希望者」には、校長自ら、最終土曜日のルミナリエ🌉に、ご案内だ!
これは、招待状を受け取った全員が、仰け反っている 😲親切さである。 ルミナリエも二十数年目だ。
それに、みんな、地元である。
何をガイドしてくれるのか?
さらに X 校長の案を追ってみよう。
18:00 〜 18:30 。 同じく徒歩で🚶♀️ 王子公園駅近くの居酒屋から🚉JR 摩耶駅まで、ほろ酔い移動する。
15分後の、JR 元町駅 に 18:45 に到着。
19:00 〜 20:00 ルミナリエ見学。
ルミナリエの点灯式が 毎日17:30 ごろ、終了が 22:00 とすると、絶妙なタイミングで、ややお客さんが少ないスキマ時間に ルミナリエ見学だ。
「西村京太郎」も、ビックリの、綿密な計画ではないか!?
待望の二次会は、ルミナリエ見学後の 20:00〜 21:30 となる。
この時間、これは「90分飲み放題、🍶」と見た。
そして「二度目の解散」
何と詩的な表現だろう。 居酒屋のハシゴの別名か。
結局3時から、一時間の会議で、後は「飲み」。
それをこのように、わざわざみんなにメールしてくれる所が、X 校長の X たる由縁で何とも素晴らしい、としか言えない。
とくに (2 ) 自己紹介、は四十回目の同窓会直後の反省会では、エ? となるが、
年齢を考え「アレ、誰やった?」と言う非礼をお互い避けるためだろう。
Xは校長なのに、高校のサッカー部⚽️の監督で、休日出勤して、学生と大変熱心に練習している。本当に頭が下がる。
しかし、部員のみんなにはラインやメールで、この飲み会のような、丁寧な予定が送られてくるのだろう。
ちょっと、重いかな? サッカー部員の諸君も大変だ。
明日は行けなくなって、本当に残念である!
挑戦状は新年会 🌅まで、しばらくお預けだ。
I’m No.1 期末テストがんばったね! ⑧
期末テスト頑張りました。
数学が良かったですね。
冬休みには、ほかの科目を勉強して
1月実力テストに備えてください!
I’m No.1 期末テストがんばったね!⑦
期末テスト頑張りました!
五計も良くなって来ました。
冬休みには英語を勉強しましょう!
I’m No.1 期末テストがんばったね!⑥
期末テスト頑張りました。
五計も良くなって来ました。
もっと上がるといいですね!
檀ふみさんの思い出
檀ふみさんの思い出
このあいだ「檀ふみ」さんをテレビで見た。
壇蜜さんではないですよ、往年の名女優さんも、六十過ぎだ。
私が高校生のころ、檀さんは慶應大学の学生さんで、すでにテレビに出ていた。
ビデオ録画などない時代だ。
夜の、7時半から始まる、NHKの連想ゲームにはよく出演していらっしゃって、
時間に間に合って、テレビの前に座れた日には、僥倖と言ってもよく、何と美しい女性かと、憧れていた。
ご本人の魅力もともかく、お父さんが作家で、太宰治の友人である。
ちょうどその頃、檀一雄さんが「火宅の人」という私小説、懐かしい言葉だよね、日記のような随筆風の小説を連載二十年ののちに完結、出版した。
大変なベストセラーになって、ボクら、高校生も読んだが、内容が、家庭を棄てて、愛人との恋愛を書いてある。
小説は誇張かと思うが、評論家は真実の人間の葛藤、と褒めるし、
実際、檀一雄さんは、愛人と別れると、オメオメと、奥さんもいる元の家庭に戻ってしまうし、そのお嬢さんがフミさんなのだ。
「ひどい、父親だなぁ」と思うと、健気な黒髪の美人大学生は、一層、我々、高校生の憧憬の対象だった。
その日記的な私小説を、お嬢さんのフミさんはなかなか読めなかった、という、それは日々泥酔、借金、性病まで、告白されているから当然だ。
こうして、またお元気でテレビで再開すると、やはりお美しく、聡明なご様子に、私自身が檀一雄さんの歳、近くになったためか、娘のように抱きしめたくなってしまうのである。
檀ふみさん自身も、エッセイでそんなお父さんについて、好意的に多く書き残している。
檀一雄さんと檀ふみさん、親子の会話が聞こえてきそうな、私小説やエッセイ集を手にとると、昭和の時代ならでは、現在では出版など到底不可能と思う。
昨今、SNSなどで、ずいぶん、露悪趣味でプライバシーが公開されるているが、
作家の内面の深さや、自己分析としての、二十年にわたり、
書き継がれた「火宅の人」の文学だけでなく、家族の記録としての価値に感動せずにはいられないのである。