冬季オリンピック

平昌オリンピック

平昌オリンピックが終わった。パラリンピックはこれからだ。

冬季オリンピックというのは、どうも、自分の中では、余り盛り上がらない。

12年前、イタリアのトリノで、パバロッティが歌い。フィギュアの荒川静香さんが金メダルを取ったのが、覚えている最後の方だ。

もっと言うと、1972年の札幌大会が、子どもながら、印象が深い。 長野オリンピックではない。

中学生のときだった。 その二年前の1970年が大阪万博だから、いっそう、そう思うのだろう。

1973年の石油危機のまだ前で、高度経済成長期である。

日本国中がひとつの、テーマにまとまっていた。

小学生はもちろん、学生たちはたくさんテレビで、オリンピックを見て過ごした。 同居してる祖父母とも、一緒に見た。

ウィンタースポーツに縁のない、父はじめオッサンたちも、テレビや新聞で会社の話題のネタを仕入れた。

会場の設営、雪運びなど、民間では無理で自衛隊がフルに活躍した。

また、育成選手が間に合わず、出場選手の多くが、教員や公務員であった。

それに引きかえ、今回は、興味がわかなかった。

期末テストと重なったせいもある。

それに、自宅のテレビがちょうど、壊れていて、なかなか修理に来てくれないのである。

まあ「わろてんか」も「Mステ」も「いってQ」も、見ないと困る、ほどではない。

しかし、カーリングが🥌、話題のようで、土曜日の三位決定戦は、甲南小学校近くの母のところへ、みんなでゾロゾロ、見に行った。

カレーを作ってくれて、これまた、みんなで食べた。

わたしは、シーアで大根を買ってきて、人参と細く切って、酢漬け「紅白なます」男の手抜き料理で、酒を飲んだ。

日本、カーリング、銅メダルだった。流行りの「そだねー」も生で聞けて、納得して帰って来た。

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モノタロウ

モノタロウ

今年の冬は寒くて、窓の結露も酷かった。

朝と夜の二回、窓を拭かねばならぬほどだった。

タオルもすぐになくなって、「モノタロウ」という通販サイトで、ボロぎれのウエスというのを買った。

まあ、端切れで、大きさ、色はまちまちで、田舎芝居の楽屋のようだが、五百円で10枚以上入っている。

生地もしっかりして、百均のタオルを10枚買うより役に立った。
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やはり寒さのせいで、カゼひきが、多かった。 毎時間の机のアルコール拭きも必須だった。

やはり「モノタロウ」で業務用アルコールの1リットルビンを用意した。

これはアルコール50%の濃度でありながら、食品添加物としても利用できる。

だから、アルコールに敏感な人や、手の荒れにも、安心だった。
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「モノタロウ」は尼崎に物流センターがあり、阪神間は配達も早い。

アスクル・ロハコも翌日配達で、コピー用紙や文具は助かるのだが、得手、不得手があると見えて、消毒アルコールなど、薬品は高価だ。

まあ、ここまで来て、「モノタロウ」のレビューを書いていた、となった。

きちんとしたネタ無しに、始めると、文章も、こんなものである。

思い出すのは、昔、写真を習った時に、同じくノープランで、京都で撮影して来たら先生に、えらく叱られたことだ。

「あほなー、なぜ京都に行くのだ? キミみたいな初心者は、場所を選ばないといけない」

翌週、言われたように、午前中、夙川の桜並木、御影の弓弦羽神社の枝垂れ桜、午後、再度山でピンクに染まる夕陽の桜。

そして、神戸新聞に持ち込む。 すると、月曜日の朝刊に載ってる。

日曜日に桜が満開、家族連れで賑わう夙川公園、読者投稿。

地元紙は季節ごとに、毎年恒例行事を新たに載せねばならぬ。 しかし、大切な自社の写真部員は報道で待機する。

そこで、新聞社はタダの、読者投稿大歓迎なのだ。

恒例行事など、撮影時間と場所さえ間違わなければ、誰が撮ろうと同じなのだ。

2、3年間、休みごとに、教えられるまま、撮影したが、日記には、

12月10日 終い弘法のガラクタ市
13日 祇園 芸妓 仕事始め
14日 赤穂 浪士祭り
異人館街のクリスマス 大晦日の中央市場
正月 姫路競馬場 凧揚げ祭り

など週末ごとに出かけている。 日曜日、住吉川をウロウロするくらいの今となっては懐かしい日記だ。

もう今は撮影には行かぬが、先生の言葉を思い出す。
「釣りに行くなら、神戸港より須磨、須磨より淡路。
写真も同じ。撮るべき場所と時間を選びなさい」

続、眠れぬ者に夜は長し−森田療法

続、眠れぬ者に夜は長し−森田療法

そんな時、戦前に活躍された、精神科医の森田正篤先生を知った。

先生の著書や、森田療法を知っておられるお医者さんに教わった。

気分次第で行動しない、ということだ。

今日は学校へ行きたくないなぁ、とか、何となくイライラする、これらは、気持ちを表す言葉だ。事実ではない。

もし、学校を休んだり、しかめっ面をした瞬間に、事実になる。

対策は、はじめの気持ちの段階で、行動に移さないようにしよう、と言うことだ。

遅れても学校に行く、作り笑いをする。 その行動が、事実、現実になり、気分、心の問題から解放される。

心を、心のまま、分析して癒すのは、医者でも大変だし、時間がかかる。

そこで行動療法というのが、考案された。

具体的には、患者は、部屋で一人で横になる、これを絶対臥褥 ( ぜったい がじょく ) という。 食事とトイレ以外は、ずっとそのままにする。

本もテレビも、何もしてはいけない。 ただ四六時中、横たわって1週間を過ごす。

そのあいだ、人は、自分の心と対話する。 そして、何かしたくて、誰かと話しをしたくなる。

これは、内観 ( ないかん ) とも呼ばれ実際に、刑務所などで、受刑者が雑居房に移される前に、落ち着かせる為にも行われる。

人間には、エネルギーがある、それもプラスの力がある、という強い肯定的思考から生まれた。

人は、生きたい、もっと上手く生きたい、という気持ちが、自殺希望者にもある、という。

抱えている問題が、解決されたら、また、生き続けたい、不治の病に侵された者でも、苦痛さえなければ自然に寿命が尽きるまで、生を全うしたいと、考えている。

まして、不登校など、一週間絶対臥褥すると、原因について、誰かに打ち明けたい、自分が学校へ行けない理由が、明確になる。

それは、事実ではないかもしれない。例えば、イジメられる妄想かもしれないし、本当に回りの人は気が付かない、イジメがあったかもしれない。

本人が何か語ることにより、問題が、見えるようになり、ほかの人もその問題に関われるようになる。

そしてそれが事実なら、学校や裁判所など、現実社会に働きかけ解決されるべきだ。 もし気分なら、本人と、周りの人たち、医者が援助して復帰できるようになる。

わたしの不安は、地震で怖い目をして、寝ているあいだに、また家ごと押し潰される、恐怖がある。

しかし、いつ起こるかわからない、地震を恐れるのは、バカげている。 地震は現実の不安であるが、可能性が少ないので、無視するしかない。

疲れて悪夢を見るのが、多くなれば、サプリメントを飲んだり、マッサージに行く。

また、悪夢が原因で、翌日の仕事が100%の力で出来ない焦燥感は、眠れなくても、身体を休養させる効果があるのだから、目を閉じて耐える。

また、完璧主義は悪いことではない、と自分で言い聞かせる。

起きる時間になれば、エイャ!と気合いをかけて、睡眠不足で辛くても、笑顔でいる。

そうすると、一日が何とか終わる、その繰り返しだ。

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