修学旅行

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修学旅行のお土産をいただきました。 ありがとうございました。
私の修学旅行というと、バスで歌った舟木一夫の「修学旅行の歌」を思い出す。
二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩よせあえば
ベルが鳴る鳴る プラットホーム
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行

地図をひろげて 夢見た町を
僕のカメラで 撮した君を
思い出すだろ いついつまでも
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行

霧の港に 湖畔の宿に
名残りつきない 手と手を振れば
あとを追うよな 小鳥の群よ
汽車はゆく 汽車はゆく
さようなら さようなら
若いぼくらの 修学旅行


今、調べてみるとあの「高校三年生」と同じ1963年発表だから、いくら私が歳を喰っているとは言え、発売直後に歌ったはずはない。
中学・高校の頃、1970年代の後半になって当時すでに十年経過した「懐メロ」として笑いをとるために口ずさんだのだろう。
歌詞を見ても、七五調で、意味明快、無邪気な、心が素っ裸でいるような恥ずかしさすら覚える。
想えば昭和の時代、日本の国も人びとも、若くて、素朴、幼かったのだったのだろう。 
言葉には、言ったら言った分そのままの意味しかなかった。人の考えの裏を読まない、忖度のない時代だった。
下町の家からは、きかぬ子どもを叱り飛ばす母親の罵しり声が聞こえ、酔っ払った男たちは路上で、小便をした。皆、本音で話した。
アメリカ軍が日本に基地を持ち続けるべきか?   日米安保条約をめぐって、若者は我が事のように議論し、時には街頭デモをし、警官を敵と見做した。
日本人は大部分がともに貧しく、共有する価値観があった。
頑張れば、明日は今日より幸せになれる、実際そうであった、経済は高度成長した。
ほとんどの人が希望を持ち、実現しようと努力し、叶えられた夢も多かった。
社会格差は小さく、親が貧乏で中卒でも、努力すれば大学を卒業して、豊かな暮らしができた。
しかし、今はどうだろうか?
北海道大学の調査では、低所得世帯の子どもの4割が「授業が分からない」そうだ。
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世代を超えて格差が固定しつつある。
また、私の感じでは、最近の子どもたちはいったん「分からなくなる」と「何とかしたい」という思い自体が、消えてしまうようだ。
努力しなくとも、最低でも、食事と娯楽は保障されると、子どもたちが薄々、感じているからなのではないだろうか。
飽食の中での無力感。
少しの努力では、格差が解消できない、大きな夢を抱いても先が見えてしまう絶望感。 
子どもたち将来の世代に、もう一度、希望を持って生きてほしい。
無邪気に、恥ずかし気もなく、未来を信じて「修学旅行の歌」を大声で歌ってもらいたい。
環境を整えるのは私たち、大人の役割である。

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