平和学習教材


{671E19FE-B8B4-4B49-8513-A1431D4557DA}

御影中学3年平和学習が課題テストで出題されるそうだ。穴埋めにしたので、テスト勉強に使ってください。

★問題
1.アメリカ軍の(     )
(      )期に連合国はB29爆撃機で日本の都市を爆撃した。
はじめは(    )を標的にした精密爆撃だった。
しかし1945年3月10日の東京大空襲は(   )による(     )で(  )万人の(  )人が死んだ。
{F2F57F32-9004-4395-B7EE-68657D077C23}


(   ): 建造物などの目標を焼き払うための兵器であるが、M69は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため人を即死させる。
(   ): 戦闘で人を殺し死ぬことを受け入れた兵士に対し戦闘しない人々のこと。民間人を殺害することは国際的に認められていない人道に対する罪である。
{CA426FAB-6084-4258-B359-EDD2763619E8}


2.大阪大空襲
(     )から8月14日まで8回にわたり行われ、(  )人死亡、約( )万人以上が負傷、約(  )万軒が焼失した。
{AFEF432C-FCD6-414C-A0DD-9915450E24A9}


(    ): 飢えた猛獣が空襲で逃げる人々を襲わないように、
(      )では1943年10月からヒグマ、ライオンなど26頭を毒殺。
毒入り餌を食べなかったヒョウは飼育員がロープで絞め殺した。

3.(      )
1944年6月19日から疎開区域(東京都、川崎市、横浜市、名古屋市、大阪市、尼崎市、神戸市、北九州市)
の国民小学校3年生以上の生徒を、保護者と別にし地方都市で暮らさせること。
大阪では254校、約7万人が(    )した。

 縁故疎開: 生徒を地方の親戚の家に行かせる。
(    ): 親戚がいない生徒を学校ごとに地方に行かせる。フトン、衣服などと月10円のお金を保護者が負担した。

4.日本はなぜこのような戦争を始め、犠牲者を出したのか。
(    )は2015年1月1日の新年のあいさつ。「本年は終戦から(  )年目の節目に当たる。
戦場、長崎・広島の(  )、東京はじめ各都市で爆撃でなくなった人々の数は多かった。
(    )に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本を考えることが、大切」

1931年 (  )事変
1933年 (     )を脱退
1937年 (  )戦争
1940年 (   )三国同盟
1941年 (   )戦争
{B127261F-8C2E-4BC1-B0E8-FAF09CE27D6B}


★解答
1.アメリカ軍の無差別爆撃
第二次世界大戦期に連合国はB29爆撃機で日本の都市を爆撃した。
はじめは軍需工場を標的にした精密爆撃だった。
しかし1945年3月10日の東京大空襲は焼夷弾による無差別爆撃で10万人の民間人が死んだ。

焼夷弾: 建造物などの目標を焼き払うための兵器であるが、M69は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため人を即死させる。
民間人: 戦闘で人を殺し死ぬことを受け入れた兵士に対し戦闘しない人々のこと。民間人を殺害することは国際的に認められていない人道に対する罪である。

2.大阪大空襲
1945年3月13日から8月14日まで8回にわたり行われ、12620人死亡、約3万人以上が負傷、約34万軒が焼失した。

動物毒殺: 飢えた猛獣が空襲で逃げる人々を襲わないように、
天王寺動物園では1943年10月からヒグマ、ライオンなど26頭を毒殺。
毒入り餌を食べなかったヒョウは飼育員がロープで絞め殺した。

3.学童疎開 がくどうそかい
1944年6月19日から疎開区域(東京都、川崎市、横浜市、名古屋市、大阪市、尼崎市、神戸市、北九州市)
の国民小学校3年生以上の生徒を、保護者と別にし地方都市で暮らさせること。
大阪では254校、約7万人が集団疎開した。

縁故疎開: 生徒を地方の親戚の家に行かせる。
集団疎開: 親戚がいない生徒を学校ごとに地方に行かせる。フトン、衣服などと月10円のお金を保護者が負担した。

4.日本はなぜこのような戦争を始め、犠牲者を出したのか。
天皇陛下は2015年1月1日の新年のあいさつ。「本年は終戦から70年目の節目に当たる。
戦場、長崎・広島の原爆、東京はじめ各都市で爆撃でなくなった人々の数は多かった。
満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本を考えることが、大切」

1931年 満州事変
1933年 国際連盟を脱退
1937年 日中戦争
1940年 日独伊三国同盟
1941年 太平洋戦争

御影中学3年生の教材を要約

保久良山の思いで

いよいよ明日は始業式。新しい学校、学年の始まりだ。

残念ながら、満開のサクラは今日の雨で散ってしまいそうだ。
塾が警報で休みを願う人がいたが、それほどではない。
昨日のうちに住吉川のサクラを撮った。 
撮ったあとで、山のサクラもポツポツと咲き始めたのに、気づいた。
岡本の北には保久良山という低い山がある。
なかなか有名で、
日本武命( やまと たけるのみこと)が難破。保久良神社の灯火で難波へ着いた時に詠んだ謠が残る。
「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」
高校の友人の家がそのふもとにあった。 もはや住宅地ではなく山の中にあった。
帰宅途中に回り道をして、よく友人の家に寄った。 しばらく話をして住吉川沿いに帰宅する。
毎日のように登った保久良山が、今では遠い。 下から見上げるだけである。
今、歩いても30分ほどだろう。 しかし、もう行くことはないかもしれない。
実際のかかる時間や距離はもはや意味がない。 心が遠く離れてしまったのだろう。
青春の一時期は貴重だ。友といっしょにいた時間は、過ぎてもう還らぬ。
それぞれの現実はたいそう重い。 お互いの家族、仕事、体調に比べたら風に舞う羽のように軽い。
若い皆さんには、4月からの新学年、学校でぜひたくさんの友人と時間を共有してほしい。 今しか得られぬ贅沢なのだから…
{53AA9B34-C13D-4AA3-9A47-621EE939741B}

文楽春公演−妹背山婦女庭訓

昨夜の雨でどうやら桜も、はや散りかけだ。

桜の季節は春の文楽公演である。

初日の土曜日には行けず、日曜日の夜大阪日本橋の国立文楽劇場に出かけた。
{4AC073DD-1566-4A8B-923E-017DC1622FEB}

「妹背山婦女庭訓」(いもせやま おんなていきん)は奈良県の吉野川のほとりにある妹山と背山のことで物語の展開する場所。

庭訓は論語で、庭の教え、家庭の教育。 女子の家庭教育のこと。

町娘のお三輪さんがお姫様の振る舞いを正す場面があり、それで婦女庭訓。

{D4D7BB9C-E0E5-43D4-933A-7E3D526FAB8C}


中大兄皇子 ( 天智天皇 ) と藤原鎌足が、蘇我入鹿を滅ぼした大化改新が題材。

1771年に近松門左衛門の弟子、近松半二が作った。 当時でも千年も前のことだ。 歴史物、時代物である。

妹山の雛鳥(ひなどり)ちゃんと背山の久我之助 ( くがのすけ )君、両家は、ロミオとジュリエットのように仲が悪い。

二人の犠牲で両家は仲良くなるが、若い二人は死後にようやく結ばれる。

歴史ファンタジーと悲恋の合わせ技。 たいそうヒットして、数年で歌舞伎にもなった。 機会があれば是非ご覧くださいね。
{7D60EE45-BFFA-4C53-BDB9-34B8B7F3BFA8}