公立高校第二志望予想

いよいよ、今日から各中学で、期末テストが始まります。
当塾でも、昨夜は、みんなとても熱心に取り組んでくれて、うれしかったです。
今日も早いひとは3:30〜から頑張りましょう。 一年の総仕上げです。 
さて、兵庫模試が調べた、1学区の第二志望出願予想をみてみよう。
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神戸高校を一次志望にした生徒の46%が御影を、25%が兵庫高校を二次志望にしている。
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御影 → 葺合 68% 芦屋 15%
葺合 → 芦屋 37%  六甲 24%
芦屋  → 六甲 60%  翔風  15%
六甲 → 翔風  32% 東灘  28%
こうして見ると、御影→葺合、芦屋→六甲の併願者60%以上で親和性がよく、1ランク差の高校に似た生徒さんが集まるようだ。
それを受けて葺合、六甲を第1志望にした生徒さんは25%が、安全策で2ランク下のそれぞれ、六甲、東灘に希望を下げている。偏差値では近い芦屋、翔風は30%台だ。
現在、第一志望の加算は25点/500満点だが、第一志望者が思い通りの高校に行けるように、加算は50点にする方がいいのではないか。
偏差値で輪切りになった、不本意な高校選択では、学校には愛着がわかないだろうし、高校の個性が失われてしまいそうだ。

陽はまた昇る

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陽はまた昇る

神戸港の日曜日の朝の写真です。
7時前の朝焼け、きれいですね。
さて、昨日は、推薦入試の発表でした。
当塾からも、6名が受験しましたが、5名合格で、1名が残念ながら不合格でした。
合格したみなさんは本当におめでとうございました。
前にも述べたように、推薦入試は成績が似た生徒さんが、2時間の小さなテストで競い合います。
また、作文と面接だけでテストがない高校もあります。  ですから、合否の差は、とてもわずかです。
残念だったひとは、一般入試まで、あと3週間、気持ちを入れ替えて頑張りましょう。
夜明けの来ない日はありません。 いっしょにきれいな朝日を見ましょう。 先生たちも全力で、サポートします(^_^)

いつやるの?今でしょー!

いつやるの?今でしょー

中学生のみなさんは、テスト前の 土曜、日曜、きちんと勉強できたかな?
土曜日の夜は、なかなか、頑張っていたと思いますが、日曜は塾がなかったので、心配です。
また、今晩、やりましょうね。 
中学1年のひとは、世界地理のだいたいと、室町時代まで、2年生は地理のほぼ全部と明治時代まで終わりました。
また、4月の春休み明けテストでも、ほぼ、同じ範囲が出題されます。
勉強は少しずつ積み重ねて、半分くらい忘れて、また覚え直しの繰り返しです。
今回、積み上げが足りないと、4月に、また、いちからやり直しです。
70%で満足せず100%まで、学習を仕上げましょう。 
ウロ覚えでは忘れるのも早いですよ、完璧に準備して、テストを受けましょう。
そうしたら、今回も、いい点が取れるし、春休み明けも、少しの復習でいい点が取れるでしょう。
余った時間で、ほかの科目が勉強できますよ。良い循環を自分からつくりましょう。
いつ社会を覚えるの?
今でしょー!
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土曜日は暖かい西日が射し込んでいました。春はもうそこまで来ています。
今日は午後から、推薦入試の発表ですね、
良い知らせを待ってます。
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「家郷の訓」の思い出

 
「家郷の訓」の思い出
 
本当になじめない、心苦しいのは、大人びた、物分かりが良すぎる子どもさんに接することだ。
 
そんな時には、昔は良かったなぁ〜とこの本を読みます。
 
 
著者、宮本常一先生は民俗学者ではじめは教師であった。
 
本書「家郷の訓」(かきょうのおしえ )では自身の故郷を描写しながら、
当時の、子供の躾(しつけ)のありさまを述べている。
 
ごく短くいうと、昔は生活は苦しかったが、地域社会全体つまり村ぐるみで
子どもの成長を支えていた、ということである。
 
宮本先生の著作は多いが本書は読みやすく、すぐ納得できる点も多い。
 
明治から大正時代の山口県大島の話で、執筆、出版が第二次世界大戦中(1943年)とはとても信じられない。
 
「自分自身の体験を内省して、子どもの育て方、孫への接し方、
地域活動のあり方、地方行政のあり方などを具体的に考えるヒントになる」
解説でも大絶賛。
 
ごく一部ですが読んでみてください。
 
 
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  本来幸福とは単に産を成し名を成すごとではなかった。

 

   祖先の祭祀をあつくし、祖先の意志を帯し村民一同が同様の生活と感情に生きて、孤独を感じないことである。

 

われわれの周囲には生活と感情とを一にする多くの仲間がいるということの自覚は、その者をして何よりも心安からしめたのである。

 

そして喜びを分ち、楽しみを共にする大勢のある ことによって、その生活感情は豊かになった。

 

悲しみの中にも心安さを持ち、苦しみの中にも絶望を感ぜしめなかったのは集団の生活のお蔭でおった。

 

村の規約や多くの不文律的な慣習は一見、村の生活を甚しく窮屈なものに思わせはするが、これに決して窮屈を感ぜず、頑なまでに長く守られたのはいわゆる頑迷や固陋からばかりではなかった。

 

怡々としてこれが守り得られる ものがそこにあった。それがこの感情的紐帯である。

 

そしてその紐帯の修得が今まで縷々としてのべ来たような方法によってなされたのであるが、これが更に村の共同生活によってあたためられ、新たにされ、また維持せられていったのである。

 

村の共同生活は親睦の意味を持つ多くの講や、仕事の協力、葬祭の合力に特にこれを見ることができる。