「家郷の訓」の思い出

 
「家郷の訓」の思い出
 
本当になじめない、心苦しいのは、大人びた、物分かりが良すぎる子どもさんに接することだ。
 
そんな時には、昔は良かったなぁ〜とこの本を読みます。
 
 
著者、宮本常一先生は民俗学者ではじめは教師であった。
 
本書「家郷の訓」(かきょうのおしえ )では自身の故郷を描写しながら、
当時の、子供の躾(しつけ)のありさまを述べている。
 
ごく短くいうと、昔は生活は苦しかったが、地域社会全体つまり村ぐるみで
子どもの成長を支えていた、ということである。
 
宮本先生の著作は多いが本書は読みやすく、すぐ納得できる点も多い。
 
明治から大正時代の山口県大島の話で、執筆、出版が第二次世界大戦中(1943年)とはとても信じられない。
 
「自分自身の体験を内省して、子どもの育て方、孫への接し方、
地域活動のあり方、地方行政のあり方などを具体的に考えるヒントになる」
解説でも大絶賛。
 
ごく一部ですが読んでみてください。
 
 
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  本来幸福とは単に産を成し名を成すごとではなかった。

 

   祖先の祭祀をあつくし、祖先の意志を帯し村民一同が同様の生活と感情に生きて、孤独を感じないことである。

 

われわれの周囲には生活と感情とを一にする多くの仲間がいるということの自覚は、その者をして何よりも心安からしめたのである。

 

そして喜びを分ち、楽しみを共にする大勢のある ことによって、その生活感情は豊かになった。

 

悲しみの中にも心安さを持ち、苦しみの中にも絶望を感ぜしめなかったのは集団の生活のお蔭でおった。

 

村の規約や多くの不文律的な慣習は一見、村の生活を甚しく窮屈なものに思わせはするが、これに決して窮屈を感ぜず、頑なまでに長く守られたのはいわゆる頑迷や固陋からばかりではなかった。

 

怡々としてこれが守り得られる ものがそこにあった。それがこの感情的紐帯である。

 

そしてその紐帯の修得が今まで縷々としてのべ来たような方法によってなされたのであるが、これが更に村の共同生活によってあたためられ、新たにされ、また維持せられていったのである。

 

村の共同生活は親睦の意味を持つ多くの講や、仕事の協力、葬祭の合力に特にこれを見ることができる。

 

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