今日から期末テスト!

 

感謝

 

いよいよ今日から、中学の期末テストが、始まります。

塾生のみなさんも、金・土・日の三連休、
一日十時間という目標を達成できたようです。

先生もこの二週間、腰痛!から始まった準備期間、
やり尽くした、充実感で、テスト前日を迎えることができて、感謝の気持ちでいっぱいです。

「こうしろ!」「あれもしよう!」という沢山の要望をこなしてくれた、生徒さんたちが居てくれたから、
先生も頑張ってご指導できたんだと思います。

また「この時間に来なさい」と、普通とは違う塾の時間になってしまい、
保護者様にも夕食や送迎のお手間をとらせて、申し訳ない思いです。

 

ありがとうございます😊

また、かなり厳しいことを授業では言って、生徒さんたちも、
先生の要求するレベルまで勉強しようと、
精神的にしんどくて、
ご家庭では不機嫌になったとか、聞くと
申し訳なく、良くサポートしてくださり感謝の気持ちです。

木曜、金曜の二日で8科目!?をすましてしまう中学もあります。

授業時間が確保できないから、と言うことですが、キツイと思います。

あと一歩、カゼなどひかず、テスト時間中も、

上がったり、集中力を切らしたり、

しないように祈るような気持ちです。

 

中学3年生は、一週間後まだ、実力テストが残っていますから、最後まで頑張りましょう。

 

ありがとうございました 🙏

 

お土産をいただきありがとうございます😊

みんなでいただきました。

 

 

災難、腰痛!!


つぎつぎ襲いかかる災難、
腰痛からの脱出。

10月最後の週末は、東京六大学野球、早慶戦だった。 慶應の優勝パレードを楽しみにしていたが、
早稲田が勝って、慶應が負けて、法政が優勝。

なんかスッキリしない結果になった。


11月の始めの週は、喉痛を堪えて同窓会。


そして、先週の木曜日、小学5年生の授業のときだ。

漢字テストの成績が悪かったので、叱っていると、グキッときた。


息をすうのも苦しくいほどの痛みだ。英語では「魔女の一撃」というらしいが、立ってられない。

手洗いの前のイスに座り、懸命に痛みをこらえた。

五分ほどで落ち着いてきたが、手を伸ばすことが苦痛だ。

前かがみで、じっとしているとマシになる。

「大丈夫、大丈夫」といいながら、手を伸ばす。

じわじわ、背を伸ばしてペンを持つ。字は書ける。

連絡帳や、小テスト、その他、机に向かってペンを持つのはいい。 そういった書類を持ってきてもらい、机の上の仕事をするようにした。

7時半くらいには、大きな声も出せるようになって、それでも背中に響いて痛いけれど、

宿題をしてない、小テストが良くない、と、
前に呼んで、ガミガミ、叱った。

ワークやプリントを次から次と、仕上げて持ってきてもらい、マル付け、解説をする。

ギク、ギクと響くが、何とか授業が終わった。

バイトのマイちゃんが

「先生、さすが、プロですね!」とおだててくれる。

「プロか…。」満更でもない。


しかし、立ち上がって、チョコチョコ歩きもやっとだ。6時間づっと座っていたので、お尻もジンジンする。

どうやって階段を下りる?

転げ落ちたら大変なので、階段にコシを下ろして、座って、一段一段、降りる。ズボンが泥だらけだ。

MKタクシーを呼ぶ、安いし、親切なのだ。

うまく顔見知りの運転手さんが来てくれる、ラッキー🤞

肩をかりて、ようやくクルマに乗った。 背を丸めるとまた、ギクが来た。

運転手さんの手をかりて、マンションのエントランスにようやく到着。 要介護になったら優しいMKに来てもらおう。

ベッドに横になったが、寝返りができぬ。 仰向けか右下のどちらかだ。 自力では、力が入らないやら痛いやら、動けない。

1センチずつ体位を変えることがやっとだ。


それよりも、オシッコが、ベッドから出て便所まで時間がかかる。 尿瓶は無いので、ワインのデキャンタを用いた。

しかし正直、情け無い。 自力では、動けないのがショックでもある。

幸い、今まで、大病をしてないので、逆に尚更である。

ウトウトして、翌朝、119に電話してみると、そういうときは救急車で運んで行くと、言われた。

回りで、腰痛で悩んでいる、二人に連絡して教えてもらうと、他に原因がない腰痛は、点滴の鎮痛剤で、あとは時間がかかるということだ。

仕方ないので、自宅治療にする。

バンテリンとか、ボルタレンとか、皮膚から吸収する鎮痛剤を山のように買ってきた。

スマホはもちろん痛くて使えない。

大便がしたくなっても困るので、りんごジュースを少しずつ飲む。

空腹も感じない。

変な体勢でいるので、グッスリも眠れない。

このまま、一生か…。と気が滅入る。

ある朝目覚めると、虫になってしまった男、を描いた、カフカの小説で「変身」を思い出す。

気を紛らわすため、テレビをつけて置く。普通の番組はうるさいので、「寅さん」や太田和彦さんの「居酒屋放浪記」をビデオでかける。

クビだけ回して、画面を眺めたり、音だけ聞いていた。

やっと月曜日になって、一人でトイレに行けるようになった。

お尻とか背中など、同じ姿勢だったので、床ずれのようになっている。

それでも、火曜日には、教室に行けた。

座って教えていたが、長時間にわたると辛い。

それで、先週中学の期末テストの準備が出来なかった。

その分、今週の土曜、日曜は7時間づつ、2日かかった。

しかしあまり急にすると、また、痛みそうで怖い。

小学6年生も、今月から中学の内容である。

プリント作り、マル付け、印刷と頼める作業が多い。

この本とこれとで、2枚にまとめて、解説を書いてとか、採点して問題のあるのだけ抜いてください。 5枚をホッチキスをして、7組み、それを三日分作って…。

アルバイトで就活の人もいる。どうしようか?と思う。

どなたか、お手伝いのアルバイトしてくれないだろうか。 ご存知の方があれば、ご紹介ください。


田舎教師


田舎教師

おじから、柿が届いた。

いつかも書いたが、今年は、柿が美味い😋

柿だけでなく、梨、ラフランス、も良い。

私など、日曜日には、柿、梨、リンゴとお豆腐で白和えにしていただいている。

おじは、小野市、西脇市など兵庫県の中部で県高校教員として、四十年奉職し、定年後も、20年にわたり豊岡はじめ、丹波、篠山まで非常勤講師として教えていた。


クルマで片道、1時間もかかるのに、2コマくらいの授業でも、通っていた。

定年後は、登山に凝って、百名山などをやっていたので、
「ガソリン代も出んじゃないの、山、やった方がマシじゃないですか?」
と私らが言うと、

「学生に皺寄せすることはできん」
と県内のあちこちに、2、3年前まで教えに行っていた。


その、おじの教え子さんが一家で、丹波で柿を作っていて、そこのを送ってくれたのだ。

さっそく、お礼の電話をした。

「誰が、教え子や、思う?。一番右手の人や」

おじの教え子さんも、早やお孫さんがいるのだ。 おじは笑っていたが、六十年にわたって、高校生を教えるのは、大変だ。

まして、通勤時間がかかる県内中部は尚更だろう。

私の恩師の、S先生などは、県芦、神戸と日の当たる場所を歩いて来た人だ。


一方、おじは、管理職にもならずに、半世紀以上もがんばって来た。


人それぞれだが、ご本人の満足が一番である。


しかし高度経済成長の頃は「教員なんて」というのが、一般的な感じだった。

昔、お盆や正月で一族が集うとき、まだ祖父がいて「月給二十万の仕事」とみんなの前で、盛大に、おじを茶化していた。


反発もせずおじは「私には、充分な仕事ですから…。」

とかわして、分家を何とか、保って、年金の中から教え子の柿やブドウを買って、送ってくれる。

そんな、おじのような、地道な人々のおかげでこの国は成り立ってるのだ。

渋は抜いてあるはずの、柿の実も、私には甘いだけでなく、ホロ苦いものだ。

時、あたかも、日本では、安易に外国人労働者の導入に拍車をかける動きがある。

また、一方、南米からの労働者を追い出す、トランプ共和党が、下院中間選挙で敗北し、米国内の分裂は進むばかりだ。

日本の若者たちも、もっと地道な仕事をして欲しいものだ。 楽な派手な会社ばかりが、人生ではない。

さもないと、日本も、差別しつつ、望まぬ外国人労働者に頼る国になってしまうだろう。

40回目の同窓会


40回目の同窓会

先週は急に寒くなった為か、不調で、ずっとノドが痛かった。 ブログも更新できなかった、申し訳ありません。

木曜の夜には、夕食のラーメンを食べるのも、飲み込むのが苦しくなった。

幸いに、金曜日は、アルバイトのトッキーとホノちゃんが、二人とも来てくれるので、思い切ってお休みさせていただいた。

というのも、土曜日は、高校の40周年同窓会がある。

是非とも出席しないといけない。

それで、金曜日は、ロキソニンを4時間おきにのんで、ずっと横になっていた。

何と、神は見捨てなかった!

土曜日には、熱も下がり、痛みもマシになった。

それでも正午まで用心して、ベッドの中に入っていた。

準備委員長のXには「1時に来い」と言われていたが、遅刻である。

三ノ宮から、今回は、タクシーでピャーッ🚕と行ったが、お日柄も良く、行楽や結婚式で道路は大混雑だ。

5分経ってもまだ、加納町の交差点で、トロトロしている。


ANAプラザの前で止めてくれるよう、言うが、タクシーは新神戸駅側の正面入り口にしか着けられぬ、と言われた。


到着して、10階まで、エレベーターを使わず、エスカレーターで、ダーっと上った。

さすが、病み上がり、息切れする。

さっそく、Xに遅刻の言い訳をするが「アホ!」と頭を叩かれた。校長は恐いのだ。

こういう時は、岩牡蠣戦法、くっついて何かあれば仕事を分捕るー作ることに限る。

さいわいというか、Xが最後にもう一度「司会の流れをおさらいしたい」と言う。

この辺り、Xは慎重というか、じつは気が小さいのである。

私、「じゃあ、オレが先生や、挨拶のマネするから」とリハーサルを一緒にすることになった。

ご案内のくだり「…、どうぞこの後、ご歓談ください。お飲み物はビール!?」

「そうや、Yが、キリンに勤めてるから、ビールの銘柄はキリンで頼むから、言われたんや。このあいだ寄付もらったし…。ホテルの人に確認して、急ぎ、急ぎ」

繊細なX、そんなことまで気にしていたら、早死にするぞ。

いちおう確認に行ったら「Z君、勤め、アサヒやで」と周りから声がかかる。

どうするんだ、X、頭を抱えている。

ホテルの人が「よくございます、各テーブルの乾杯用がキリン、後ろのバーには目立つようにアサヒを積み上げて置きます」

「さすがクラウンやで!」Xは安心した。


3時に会は始まったのであるが、192人出席!
450人中だから、60歳前としては、成功だ。

X、よく頑張ったね。

やはり、みんなの話を聞くと、
「5年後はまだ、忙しいから、出席できないだろうし、
10年後となると、自分が来れるか不安。結局、今回が最後になるかな?」

成功は成功だが、実際のところ「線香花火の消える前の輝き」ということか。

ホロ苦い思いだが
「下のレストランでは五千円のワインを、出してくれている」という話しが広まると、皆、呑む。呑む。

192人がワインを飲む、192人がビールを飲む!

私もノド痛どこでではない、浴びるように呑んだ。

12本入りのワインケースが、エレベーターで次から次へ上がってくる。

クラウンプラザの人も、酒が切れたら、一人でも小うるさい、ジジイやババアが192人!

どんなに騒がれることか、ゾッとする思いだっただろう。

私が当初依頼された、スライドショーも、1か月前と同じ出来映えで、あった。

セピア色の、写真、BGMはやはり、アメージンググレイスとジュピター、それにユーミンの「中央フリーウエイ」か何かが少し入った。

Xが「おまえの意見の歌謡曲も入っとうやろ?」得意気にいった。

イヤ、明るい曲が欲しかったんだがー 。「中央フリーウエイ」は失恋💔の曲だろう。

セピア色の思い出には、ポップな感じ、同世代のキャンディーズやピンクレディが良かったと思うけど?



恩師のS先生も、先月は10日間も入院なさったのに、ご出席、好調である。

「1か月ぶりの酒はうまいわ、ワッはワッは」

先生は本来なら、日本酒であるが、今日は美味しい赤ワイン。

やはりホテルなので、ワイン一杯の量が上品である。S先生のテーブルは、空グラスで溢れている。

84歳、未だ現役、週三回、H高で漢文を教える。

「東北出身の四男坊!体も精神も鍛えが違う!」

私もあやかりたいものです。

酔った先生から、昭和40年代の県芦の話しを聞く。

「昔は、芦屋からも東大あったんやで」から始まって、各高校の名物先生談をお伺いした。

フィリピンで日本軍の通訳をして、復員後、県芦、のちM女子大教授の英語のY先生。

この先生は、以前、私も予備校でご一緒させていただいた。

それから、S先生の兵庫県での、国語の師匠で、漢文学者のM先生のお話を聞けたのも、有難たかった。


友人では、Sが、北海道での26年にわたる教員生活を終えて、4月に戻って来る。

Sは、ラグビー部だって190cm100kg近くある巨漢だが、高校の時から、何というか私とは、ウマが合う。

昨夜も
「北海道の冬、寒いやろ?」
「そうやでー、厳しいでー」
「クマも出るやろ?」
「クマ出る、怖いでー」
こんな調子で内容はないのだが、ウダウダ続く、

来春から呑み会が増えそうです。

3時から5時半が、一次会。150人くらいになって、同じ10階の別の会場で二次会。

話したり、写真を撮ったり、8時迄、さすが、ホテルも困ったのであろう、二次会のツマミは、柿ピーなど乾き物になった。

しかし84歳、恩師のS先生始め、5時間、飲みっぱなしであった。

私など、カゼひき小僧は、三次会に連れて行かれても、叶わなぬ。

タクシーでトットと帰宅したのである。

酒でも、何でも、敵わない、恩師や友人達に恵まれて私は、幸せだと思った。

 

御影中の先生はお酒好き?


御影中の先生はお酒好き🍶?

また、お酒の話しで恐縮ですが、中間テストの問題で思い出した。


御影中学1年生の社会科である。


「わたしたちの神戸」という副読本からの出題。

…灘の酒のおいしさの秘密は、水・人・米ですが、名称を書きなさい。

宮水、丹波杜氏、山田錦が答え。

そのうち中1の生徒さんが、
「先生、そのお酒、山田錦?」
「そうそう、百万石より、酒造りにはぴったり!」

などと、言い出しても怖いですね。


出題者の社会科の先生は、クラッセで試飲会のたびに、帰りがけに一杯、楽しんでいるんだろうな。

「知識理解」というのも、笑える!

期末テストでは「実際体験」とかで「銘柄当て」の出題をしてもらいたいものだが、無理でしょうか。

 

ご指導には自信があるんだがなぁ…。

「この独特の苦味は、宮城の純米やな?」とか
「次…。吟醸酒か、大吟醸か、わかる人?」



今では、考えられないが、昭和の頃は、オヤジの晩酌のお酒を、2合とか3合とか、お使いさせられる子どももいた。

みんなお金が無くて、オヤジが日給で貰った、カネでやっと晩飯が喰える。

無論、ひどい話で、あってはならないが、「俺が、稼いで子どもを育てている」

「お父ちゃんの、お陰で、ご飯が食べれる」

オヤジにも、誇りとやり甲斐があった。

月給が銀行振り込みになったことが、やはりオヤジの権威失墜の、始まりと言えそうだ。