コピー

コピー

コピーを取る時、どうしても端のほうが黒くなることがある。
ブックものでは尚更だ。
コピーはアルバイトのひとに、頼むのだが、やはり取るひとによって、黒さが違う。
もちろん時間がある時は、綺麗なコピーが多いが、授業終了間際に
「英語「わかるわかる」ワークP50-55、6組み。
数学「ガンバレ」ワークP40-47、うち2組みは、38-39の復習付き、
御影中は歴史ⅱの4章全部もう一度。
住吉中は地理の3章前半。」
と当日の授業と各自に合わせて宿題を渡す。
これを10分程度で、チャッチャッチャッ、とコピーをするのは大変だ。
生徒さんからも「数学は違う問題集から取って」などと注文が入る。
その忙しいなかで、端が黒くないコピーを取るのは大変だ。私などいい加減なのでコピー機のふたもせず、ピャーッとかける。
当然、黒くなる。
しかしアルバイトのひとの中でも、綺麗にとってくれるひともいる。
「自分が学生の頃、汚いプリントだとやる気が失せた、
特に数学など一枚一時間もかけて解くと、端が黒いプリントだとウンザリする」
一方、生徒さんは「家の方が迎えに来ているので、早く!」
と、なるし、人の立場になってみるのも、価値感が違うので、なかなか難しいものがある。
「もし自分がほかの人だったら」と思って仕事をするのは基本だが、他人のニーズも千差万別だ。
思いやるのも大事だが、時間がかかるが要望をきちんと聞いて、取り掛かる方がいい場合もある。
コミュニケーションは実に難しい。有難迷惑はお互いに傷つく。
そんな忙しい中でも、アホな私などは、ブックものをコピーする時、綺麗に取ろうと、体重でぴたっと押し付けて過ぎて、
コンタクトガラスが割れる、妄想をしては、ヒャットする。
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おでん講釈

おでん講釈

急に寒くなって、カネテツをもらったせいでもなかろうが、暖かい食べ物が恋しくなった。
おでんは、もともと関西の食べ物である。 豆腐に味噌を塗った「田楽豆腐」というのが発祥だ。
そのうち、あっためたコンニャク、大根や芋にも、甘い味噌をつけて食べるようになった。
江戸時代になって関東でも、人気の食べ物になった。 
ところが、味噌をつけるのが、面倒だと、醤油でドバッと煮込むようになった。これが関東炊き。
さてここからが、人間国宝の落語家、桂米朝さんに伺った話なのだが、マユツバで聞いて欲しい。
昭和の頃、東京でうどんでも食べると、醤油煮込みみたいなもので真っ黒だった。
「関東炊き」を関西に持ち込んで、昆布や鰹節の出汁で薄味の関西風になった。
また、それが東京に逆戻りして、「関西風、関東だき」のお店ができて、訳が分からなくなった。
よく米朝さんは、お初天神にあった「常夜燈 」の ( 今の常夜燈は、関西だき、の店となった ) オヤジの、売り唄を紹介していた。
おでんさん、おまえの出所 でしょ はどこかいな、
私の出所は日立の国、水戸様のご領、中山育ち、
国の中山、出る時は、ワラのべべ着て縄の帯締め、鳥も通わぬ遠江灘、
色々苦労を致しまして、大阪江戸堀三丁目、
播磨屋さんの店に落ち着いて、手厚いお世話になりまして、
べっぴんさんの、おでんさんになろうと、朝から晩まで湯に入り
化粧して、ちょいと櫛 クシ 刺して、甘い御髪 (おぐし)のべべを着て、
おでんさんの身請けは、銭 (ぜぜ)次第、
おでん アツアツ
コンニャクの味噌田楽の売り口上、である。 当時コンニャクは水戸の特産品。水戸産のコンニャク芋で、作った田楽を甘い味噌で食べてね〜。
米朝さんはこれがご自慢で、寄席でも落語の途中、披露していた。
関東だきが大阪に来たときに、ドイツの哲学者「カント」と勘違いした京大の学生が、大挙して難波の居酒屋に集まった。
と、落語のオチもつき米朝さん大熱演だった。
これが、私のオデン講釈である、長々と無駄な話し、すみません。
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家族の絆

家族の絆

A君には持病がある。
いつ病気が起こるかもしれないので、小学校や中学も、休み休み通った。
入院などをしながら、高校卒業資格を取った。
今、彼は作業場に通っている。 体調が良い時には、もっと勉強したい気持で、何とか通信大学で学びたいと考えている。
だが、症状を抑える薬を飲むと、ボンヤリして、記憶も薄れてしまう。
私は、昨年から、小学生さんが来るまでの時間、彼と勉強している。一人でバスに乗ってやってくる。
お父様は「 四六時中、見張っているわけにも行かない」
小さい頃から、様々な病院に通ったが、決定的な治療法にはならない。
葛藤ののちに、そういう気持ちに至った、とおっしゃっている。
「本当は、一人で外出は無理だ、風呂だって、そもそも、就寝中に家族が気づかなかったら、どうするのか…」
「…だが、一人で外出もできない生活が息子にとって、どうなのか?」
「もっと重い、病院から出られないひともいる。リスクをおかしてでも、普通に出来るなら、そうさせてやりたい…」
A君ご家族の絆は強い。 
普通なら見過すような事も、家族で一緒に考えて、向き合わねばならない。
仕事などでお忙しくとも、待ったなし。 子どもさんと向き合わねばならぬ。
お父様、お母様のご苦労を思うと、私にはおかけする言葉もない。
私はA君とこれからもずっと関わっていきたいと思っている。
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暑さ、寒さ

暑さ、寒さ

雨が冷たい。お昼間に比べ朝夕は急に寒くなる。昼もいつもより結構寒いが…
私も体調が良くない。 先週は教室の片付け、新しい本棚の組み立て、廃品回収と無理をしたせいでもある。
だいたい、私は夏が得意で、冬は苦手だ。
祖父も暑い方が好きだった。 しかし、七十を過ぎてから冬が好きになった。
エアコンのない時代、夏はハダカになったら、それからどうしようもない。 
冬はコタツに入り、厚着をして、ナベを食べるなど、方法がたくさんある、と言うのだ。
馬鹿な理由だが、明治生まれらしく、もっともにも聞こえる。
子どもの頃、祖父とコタツにクビまで入って、マンガとお菓子を手近に置いて「極楽、極楽」と言った日々が懐かしい。
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冬は大根とカネテツ竹輪のおでん

衣更え

衣更え

衣更えは苦手だ。
この時期、日本に四季があるのは、恨めしい。
1日を費やして冬の長袖やらセーターを、タンスの奥から探し出して、ハンガーなどにかける。
春の衣更えは薄くなるので、ドンドン脱いで何とかなる、片付けはボチボチできる。
秋はチョコっと引っ張り出して終わりとは行かない。身に付けるモノが多いではないか!
靴下、ズボンから探し回らねばならぬ。手袋、マフラーなど半年前に洗濯した後にどこに入れたか、覚えているものか!
昔、アメリカでワードローブ、を見てたまげた。 冬物、夏物、合わせて靴に至るまでヅラーっと並んでるのだ。
そこに主人はサッと入って、今日の気候に合った服を着てくるのだ。
広い部屋に持ってる衣類が、ズラリ、一覧で選べる。
まるで芝居の衣装部屋ではないか!
中学の頃、校長が朝礼の講話でクドクドと、
「作家山岡荘八先生は著書徳川家康の中で、
人生は重い荷物を持って、長き道を歩んでいくようなものだ、と書いておられる。諸君も日々忍耐を…」
昭和は住宅も狭かったし、仕方なかろう。時代は流れて、21世紀である。 しかし衣更えはみな昔と同じような事をやっているようだ。
アマゾンなどが、春先に、デカい衣装箱を送りつけて来て、クリーニングして、夏の間は預かって「10月20日お届け」してくれないのかなぁー。
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