忍耐・素直・努力


忍耐・素直・努力


勉強が良くできるようになる条件は、
忍耐
素直
努力、です。

忍耐は、嫌な事を我慢してやる、ということです。

学ぶは、真似ぶ、からきた言葉。 新しいことを習得するには、先生を素直にまねて、始まります。

努力する、は、やや難しいですが「〜する」、暗記する、計算する、読書するとか、多量に処理するという意味です。

この三点、どれを欠いても、成績は向上しないです。


テレビを見たくても、我慢して、宿題をする。 一日24時間、限りがあります。 寝て、食べて、風呂に入ると、他のことをしてたら勉強する時間がない。

「数学なんて、大人になって役に立たない!」「今回は範囲では出ない」「自分のペースでする」
いちいち、言い訳をしていたら、なかなかできるようになりません。

とにかく、決まったこと、は無条件でこなすべしです。

そして、問題集やワークを多量にする、努力するのが、大切です。


「なんでせなあかん?」「また今度」「これ以上、無理」弱音をはいていたら結果は出ないです。

社会人になって、上司やお客様に、そんなことしたらクビです。


私は、そんなことを、中学・高校生の時に言ったことはない。 「仕方ない」と思っただけです。

だから、いまの子どもたちが、やすやすと、そう弱音を言うのは、理解できない。

だいたい、13、14歳にもなって、見っともないです。

それに六十歳の先生に、友達のように言い訳をしてくれるのは「そうですか」といいつつ、アレ、頭が痛いんだ、と思います。


繰り返しますが、学生の時、私はそんな言い訳や、弱音をはいた経験はない。 言ったことがないし、教師や親に言われたことがない。


やらないなら、1日とか、時間を決めてそうした。

 

やらなければならないなら、やる。 どうしてもサボってしまうなら、今回はしない。

塾まで、やってもらって、勉強しないなんて、理解不能です。

それでも、今も私は、真面目だから、同じ事を二回、3回と教えます。
宿題をせずに前回の内容を忘れていても、丁寧に教えます。投げません。


今、この瞬間も、差がついてるなぁと思います。先生と生徒ではなく、生き方でしょうね。

せっかく来たのだから、何か持って帰ってもらいたい、切なる願いです。

少子化の影響で、子どもを取り巻く環境が変わった。

価値観が多様化した。 子どもが両親をファーストネームで呼ぶ家庭も珍しくない。

しかし、環境のせいにしてはいけない、そんなことで、言い訳や弱音を言ったらキリがない。

あたりまえですが、忍耐・素直・努力すれば、早く遠くまで見えるのですが…。

とにかく、一生懸命に、ひとから必要な存在にならないと、いけません。

秋ですね。

田舎教師


田舎教師

おじから、柿が届いた。

いつかも書いたが、今年は、柿が美味い😋

柿だけでなく、梨、ラフランス、も良い。

私など、日曜日には、柿、梨、リンゴとお豆腐で白和えにしていただいている。

おじは、小野市、西脇市など兵庫県の中部で県高校教員として、四十年奉職し、定年後も、20年にわたり豊岡はじめ、丹波、篠山まで非常勤講師として教えていた。


クルマで片道、1時間もかかるのに、2コマくらいの授業でも、通っていた。

定年後は、登山に凝って、百名山などをやっていたので、
「ガソリン代も出んじゃないの、山、やった方がマシじゃないですか?」
と私らが言うと、

「学生に皺寄せすることはできん」
と県内のあちこちに、2、3年前まで教えに行っていた。


その、おじの教え子さんが一家で、丹波で柿を作っていて、そこのを送ってくれたのだ。

さっそく、お礼の電話をした。

「誰が、教え子や、思う?。一番右手の人や」

おじの教え子さんも、早やお孫さんがいるのだ。 おじは笑っていたが、六十年にわたって、高校生を教えるのは、大変だ。

まして、通勤時間がかかる県内中部は尚更だろう。

私の恩師の、S先生などは、県芦、神戸と日の当たる場所を歩いて来た人だ。


一方、おじは、管理職にもならずに、半世紀以上もがんばって来た。


人それぞれだが、ご本人の満足が一番である。


しかし高度経済成長の頃は「教員なんて」というのが、一般的な感じだった。

昔、お盆や正月で一族が集うとき、まだ祖父がいて「月給二十万の仕事」とみんなの前で、盛大に、おじを茶化していた。


反発もせずおじは「私には、充分な仕事ですから…。」

とかわして、分家を何とか、保って、年金の中から教え子の柿やブドウを買って、送ってくれる。

そんな、おじのような、地道な人々のおかげでこの国は成り立ってるのだ。

渋は抜いてあるはずの、柿の実も、私には甘いだけでなく、ホロ苦いものだ。

時、あたかも、日本では、安易に外国人労働者の導入に拍車をかける動きがある。

また、一方、南米からの労働者を追い出す、トランプ共和党が、下院中間選挙で敗北し、米国内の分裂は進むばかりだ。

日本の若者たちも、もっと地道な仕事をして欲しいものだ。 楽な派手な会社ばかりが、人生ではない。

さもないと、日本も、差別しつつ、望まぬ外国人労働者に頼る国になってしまうだろう。

小学生の英検対策


小学英語と英検

小学生の英検がブームだ。

これは、再来年、2020年4月から、小学5・6年生の英語の必修が始まるからである。

現、小学4年生が、6年になったときから、通知簿に評定が出る。 主要五教科時代である。

当然、私立中学受験でも、英語を採用する中学が増えるであろう。

文科省も今は「慣れ親しむ、聴く・話す能力をメインに」と言っているが、さて、私立中学受験英語は難しくなるはずだ。

だいたい、数学や国語に比べると、英語はやさしい。 インプットしたものを、正しくアウトプットできるか、を競うようになろう。

いわば、覚えた漢字を書けるか、手順通りに計算できるか、それくらいにレベルの知的能力を問うことになる。

思考力は必要ない。

小学校の低学年の人が、英検2級に合格!とかよく聞くが、 小学5年でも灘中の過去問題で合格点を取れるのは、聞かない。

やっぱり小6まで、しっかりやって始めて合格となる。

練習問題の蓄積の上に成り立ってる思考力が試されるからだ。

そこに、国語・算数各100点に英語100点を、合計して300点満点で、競うとしたら、みんな英語に時間をかけてくるだろう。


英語を話すアメリカ人の子どもなら、英語で受けれる、選択式のー大学入試センターテストでも、高得点を期待できるだろう。


事ほど左様に、やさしい英語に、小学生たちは「金髪の外国人」と「お遊戯」程度しかしていない。

これは、いまの保護者の方々が、英語にコンプレックスを抱いているからだ。

英語が難しと思い込んでいるから、子どもたちの英語教育に慎重過ぎる。


例えば、公文式では、算数で小学6年まで、5000ステップで、1ステップを四回学習。
英語は1500ステップ、二回学習すら少ない。

非常に慎重なのだ。

また「英語をいつ始めれば良いですか?」とよく聞くけど「算数をいつ始めましょう?」なんて聞かない。

また、外国からの難民の語学研修期間は、アメリカの場合、400〜1000時間をかける。

1日4時間で三ヶ月から半年をめどにしている。

最低限の語学の勉強は、長くても半年と、いうことだ。

難民の語学は極端だが、中学卒業までの英語が他国で生きていける最低限としたら、その習得に三か月から半年でもできるのだ。



だから、日本人の子どもたちの場合でも、もっともっと積極的に、ひるまずに学習してもらいたい。

何でもいい。とにかく単語をたくさん覚えること。

だって、計算ドリル、漢字ドリル、毎日、やるでしょう?

百字帳を何回も書く、時間を計って計ドする、どうして、同じように英語も、単語や文章を書いたり、読んだりしないのか?

遊び半分の英語ではもう、役に立たない。
簡単でいい。毎日、読み書きするんです。



10月の英検で、四級受かりました! 小6です。6月から英語を勉強した。
集中してギュッとやるんです、直ぐ通るのです、頑張りましょう。

 

40回目の同窓会


40回目の同窓会

先週は急に寒くなった為か、不調で、ずっとノドが痛かった。 ブログも更新できなかった、申し訳ありません。

木曜の夜には、夕食のラーメンを食べるのも、飲み込むのが苦しくなった。

幸いに、金曜日は、アルバイトのトッキーとホノちゃんが、二人とも来てくれるので、思い切ってお休みさせていただいた。

というのも、土曜日は、高校の40周年同窓会がある。

是非とも出席しないといけない。

それで、金曜日は、ロキソニンを4時間おきにのんで、ずっと横になっていた。

何と、神は見捨てなかった!

土曜日には、熱も下がり、痛みもマシになった。

それでも正午まで用心して、ベッドの中に入っていた。

準備委員長のXには「1時に来い」と言われていたが、遅刻である。

三ノ宮から、今回は、タクシーでピャーッ🚕と行ったが、お日柄も良く、行楽や結婚式で道路は大混雑だ。

5分経ってもまだ、加納町の交差点で、トロトロしている。


ANAプラザの前で止めてくれるよう、言うが、タクシーは新神戸駅側の正面入り口にしか着けられぬ、と言われた。


到着して、10階まで、エレベーターを使わず、エスカレーターで、ダーっと上った。

さすが、病み上がり、息切れする。

さっそく、Xに遅刻の言い訳をするが「アホ!」と頭を叩かれた。校長は恐いのだ。

こういう時は、岩牡蠣戦法、くっついて何かあれば仕事を分捕るー作ることに限る。

さいわいというか、Xが最後にもう一度「司会の流れをおさらいしたい」と言う。

この辺り、Xは慎重というか、じつは気が小さいのである。

私、「じゃあ、オレが先生や、挨拶のマネするから」とリハーサルを一緒にすることになった。

ご案内のくだり「…、どうぞこの後、ご歓談ください。お飲み物はビール!?」

「そうや、Yが、キリンに勤めてるから、ビールの銘柄はキリンで頼むから、言われたんや。このあいだ寄付もらったし…。ホテルの人に確認して、急ぎ、急ぎ」

繊細なX、そんなことまで気にしていたら、早死にするぞ。

いちおう確認に行ったら「Z君、勤め、アサヒやで」と周りから声がかかる。

どうするんだ、X、頭を抱えている。

ホテルの人が「よくございます、各テーブルの乾杯用がキリン、後ろのバーには目立つようにアサヒを積み上げて置きます」

「さすがクラウンやで!」Xは安心した。


3時に会は始まったのであるが、192人出席!
450人中だから、60歳前としては、成功だ。

X、よく頑張ったね。

やはり、みんなの話を聞くと、
「5年後はまだ、忙しいから、出席できないだろうし、
10年後となると、自分が来れるか不安。結局、今回が最後になるかな?」

成功は成功だが、実際のところ「線香花火の消える前の輝き」ということか。

ホロ苦い思いだが
「下のレストランでは五千円のワインを、出してくれている」という話しが広まると、皆、呑む。呑む。

192人がワインを飲む、192人がビールを飲む!

私もノド痛どこでではない、浴びるように呑んだ。

12本入りのワインケースが、エレベーターで次から次へ上がってくる。

クラウンプラザの人も、酒が切れたら、一人でも小うるさい、ジジイやババアが192人!

どんなに騒がれることか、ゾッとする思いだっただろう。

私が当初依頼された、スライドショーも、1か月前と同じ出来映えで、あった。

セピア色の、写真、BGMはやはり、アメージンググレイスとジュピター、それにユーミンの「中央フリーウエイ」か何かが少し入った。

Xが「おまえの意見の歌謡曲も入っとうやろ?」得意気にいった。

イヤ、明るい曲が欲しかったんだがー 。「中央フリーウエイ」は失恋💔の曲だろう。

セピア色の思い出には、ポップな感じ、同世代のキャンディーズやピンクレディが良かったと思うけど?



恩師のS先生も、先月は10日間も入院なさったのに、ご出席、好調である。

「1か月ぶりの酒はうまいわ、ワッはワッは」

先生は本来なら、日本酒であるが、今日は美味しい赤ワイン。

やはりホテルなので、ワイン一杯の量が上品である。S先生のテーブルは、空グラスで溢れている。

84歳、未だ現役、週三回、H高で漢文を教える。

「東北出身の四男坊!体も精神も鍛えが違う!」

私もあやかりたいものです。

酔った先生から、昭和40年代の県芦の話しを聞く。

「昔は、芦屋からも東大あったんやで」から始まって、各高校の名物先生談をお伺いした。

フィリピンで日本軍の通訳をして、復員後、県芦、のちM女子大教授の英語のY先生。

この先生は、以前、私も予備校でご一緒させていただいた。

それから、S先生の兵庫県での、国語の師匠で、漢文学者のM先生のお話を聞けたのも、有難たかった。


友人では、Sが、北海道での26年にわたる教員生活を終えて、4月に戻って来る。

Sは、ラグビー部だって190cm100kg近くある巨漢だが、高校の時から、何というか私とは、ウマが合う。

昨夜も
「北海道の冬、寒いやろ?」
「そうやでー、厳しいでー」
「クマも出るやろ?」
「クマ出る、怖いでー」
こんな調子で内容はないのだが、ウダウダ続く、

来春から呑み会が増えそうです。

3時から5時半が、一次会。150人くらいになって、同じ10階の別の会場で二次会。

話したり、写真を撮ったり、8時迄、さすが、ホテルも困ったのであろう、二次会のツマミは、柿ピーなど乾き物になった。

しかし84歳、恩師のS先生始め、5時間、飲みっぱなしであった。

私など、カゼひき小僧は、三次会に連れて行かれても、叶わなぬ。

タクシーでトットと帰宅したのである。

酒でも、何でも、敵わない、恩師や友人達に恵まれて私は、幸せだと思った。