夢に向かって努力する事

夢に向かって努力する事

学生のみなさんは、クリスマス、冬休みを前にして、リラックスしているでしょう。
もっとも、受験生はそうはいかない、冬休みが勝負だと、先生たちから言われたひとも多いと思います。
あーあ、遊びに行きたいなぁ、友達の家でゆっくりおしゃべりしたい…
そういう楽しみを、現在の幸福と言うそうだ。
脳科学者の茂木先生によると、二種類の幸福がある。
一つは、今、現在の楽しみだ。  美味しいご飯を食べている、 友達とカラオケで歌うなどだ。
もう一つは、記憶に残る楽しみだ。 一生懸命勉強して、高校に合格した、 汗を流して田を耕し、米を収穫した、など経験からの楽しみだ。
茂木先生は、後者を「記憶の自己」と呼んで、前者より価値があると主張する。
脳は簡単に手に入れた喜びを、すぐに忘れてしまい、逆に、さまざまな困難を乗り越えて、手に入れた充実感に、より深く反応するそうだ。
また、フランスの哲学者で「幸福論」の著者アランも述べいる、
「…人間は与えられた幸福は好まない、自分で作った幸福が、困難なものが、われわれは好きなのだ。
行く手に障害があればあるほど、血が湧き、炎が燃え上がる…」
私たちも、例えば、旅行などでも団体でスムーズにまわって来たのは、その時は楽しくても記憶に残らないものだ。
むしろよく覚えているのは、個人旅行に行って予定通りにはいかないかった、トラブルに巻き込まれた旅の方だ。
茂木先生は次のように締めくくっておられる、
「 あなたにも夢があるはずです。
今このときも大切ですが、同時に夢のために努力することも大切なのです。
振り返ったときの満足度こそ、幸せの条件なのですから…」
受験生の皆さん、是非、今年のクリスマスは楽しくない、
なんて思わずに、幸せの種まきの時期だと、
来年、思い出したら何と充実した冬休みだったと、言えるくらいの時間を過ごしてくださいね。

お茶好き

お茶好き 

母の郷里でよく聞く言葉に「茶飲み人屑」
というのがある。
お茶ばかり飲んで、働きが悪いことを、戒めるのだが、私は夏休みに帰郷すると、大きなヤカンで冷やした、麦茶をガブガブ飲んだ。
そうすると、叔母などに何時もこの「茶飲み人屑」を言われた。 子どものことで、仕事などないのだから「冷たい物はお腹に良くない」ということだったかも知れない。
私はもともと、カエルの性があり、水をよく飲む。
教室でも、部活あけの生徒さんはさぞ、ノドが渇いているだろうと思って、ボトル水をお出ししている。
殊に、帰宅してゆったり入れる緑茶は美味い。
それが、近ごろ、ボトルのお茶を飲むようになった。 面倒くさくなったのだ。
急須で入れた緑茶は甘くて美味しい。だが、お湯を沸かしてお茶っ葉を摘まんで、しばらく待って、という作業が手間なのだ、楽しみではなくなった。 茶がらを捨てるのを思うと、尚更だ。
冬でもボトルから、ドバドバと注いで、チンで温めると一瞬だ。 味も悪くない。 
最近のボトル飲料は良く出来ていると言わざるを得ない。  冷やしても、熱しても、いちおうの水準である。 
お茶2リットルに150円も! 甚だゼイタクだが、昔の子ども三人に夫婦、祖父母同居の大家族時代と今は事情が違う、と言い訳しておこう。
あとはもう、お茶を入れるて飲むような個人的日常生活を、外注して人任せにしてしまった、という心の痛みだ。
また、ペットボトルや輸送など、エコに反する。 小さなお子さんには、含まれる化学物質や糖分も気になるところだ。
ペットボトルのお茶を飲みながら、左様にクダラヌことを、いろいろ考えるのだ、これこそ「茶飲み人屑」ではなかろうか?
魚崎中3年生W君、期末テスト、理科、百点満点!おめでとう、載せるの遅くなりましたm(_ _)m
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”E-1”

サッカー、東アジア杯は男子、女子ともに、優勝を逃し、2位に終わった。
いろいろ、あろうが、やはり日本サッカーは、何か足りないと言わざるを得ない。
技術、体力、戦術いずれにしろ、サッカー協会は、早速、具体策を講じるべきだ。
欧米では、ナショナルチームにこれほどの敗北があれば、協会、監督がなんらかの責任をとる。 明白なミスがないとしても、ファンに対してケジメが必要だろう。
アメリカの女子サッカーでは日本が優勝した2011年ドイツW杯準優勝、2012年ロンドン五輪優勝監督スンドハーゲの後、サーマンニが代表監督になったが、2014年春、アルガルベ杯で一勝しかできず解任された。
日本はサポーターが、甘い。 昨夜の男子対韓国戦にしても、4-1の後半30分をまわっても、立ち去る観客が少ない。
プロなのだから勝たないと、メシが食えない、食わせない、くらいの根性が、選手、サポーターの両者にあっても良い。
昔のプロ野球、阪神タイガースのファンは、理不尽な負け試合には、今ならヘイトスピーチで捕まるくらいの怒声を、選手にも浴びて、早々に球場を後にした。
それくらいの素朴で原始的な、感情の発露が乏しいのではないか?
国家間の戦争は殺し合いだ。それはいけないね、スポーツでその代わりに憂さ晴らしをしましょうよ、現実の戦争は絶対避けよう、という経緯がある。
こんないい加減な勝敗に淡白なサッカーをやっていては、国家間競争の、ガス抜きにならない。
スポーツでもっと感情を出して、現実の国際政治では冷静になって欲しい。
勝利至上主義はダメだが、選手とサポーターの傷の舐めあいだけで、総括がないサッカーはもういい。
また、多くの青少年が観ている試合で、結果に対して責任が伴わなければ教育的配慮に欠ける。
学生は一年間で五回のテストを受けて、合格、落第の評価を受ける。  途中経過は、頑張ったね、とか、関係ない。
点数の結果が全てで、進学できたり、資格が取れる。
サッカーで負けても、暖かい待遇が待っているなら、それは、プロレスのようなショーゲームである。
そんなショー・サッカーを観に行く人はいない。 協会よ、もっとしっかりせよ!
レアルの試合は勝ち負けぬきに爽快だ
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慣れないCBで頑張った、サメちゃん、お疲れ様。

庄野潤三の思い出

庄野潤三の思い出
庄野潤三さんというと、私には懐かしい存在だった。

それが今週、小学6年生と中学受験の過去問を読んでいると、庄野潤三の「夕べの雲」が出てきた。

私が学生の頃は「第三の新人」が大流行りで、遠藤周作、吉行淳之介、阿川弘之、そして庄野潤三さんなどを読んだ。
そして遠藤周作 「キリスト教」吉行淳之介 「 娼婦   」阿川弘之 「海軍 」とそれぞれお得意分野があった。
ところが、庄野潤三さんの守備範囲は「家庭」なのだ。
家庭内での、何でもない描写があり、山も谷もなくて、唐突に終わる。 どの小説を読んでも同じようなもので、まぁ、自然に遠ざかっていった。
もう十年も前になるか、ある女子中学生の夏休みの作文を添削した。
「おばあちゃんの家でまったり過ごした…」といきなり出だした。
祖母の話を聞いて…  とか、祖母を手伝って…
なら作文も書けるが、マッタリしてしまったら、広がって行かない!
はたして、祖母と孫娘の、夏の日の穏やかな午後の様子が書いてあった。 無論、オチはない。
その時に、どこかで読んだな、既視感を覚えた。  庄野さんの作品を思い出したのだ。 中学生の作文を、大作家、庄野潤三さんに例えるのも、甚だ失礼だが、同じ匂いがした。
「良いですね」と作文を返却した。 
庄野さんが亡くなって10年ほどだが、まだ、ファンの方は多い。  作品も出版され続けている。
「ゆったり、まったり、リラックス」な作風に共感があるのだろう。
私も帰宅して、庄野さんの作品を読み直して、いまさら、また納得した。
「いい作品だね」
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神戸高校吹奏楽部

神戸高校吹奏楽部

先日、神戸高校吹奏楽部の定期演奏会のプログラムへの広告依頼があった。
はじめ、高1年生の、御影中学出身のAさんが、一人で、やって来た。
私も初対面で、 彼女も広告集めは慣れてないのか「寄付、寄付」と聞こえるばかりである。
ちょうど、中学3年生の女子を4、5人で教えていたので、生徒たちも興味深々である。
やはり同性なのか、彼女たちは厳しい。 「先生、サギやで!」
「なんちゃって高校生かも…」
などと、聞こえよがしに、反応がある。
私も、電話も無かったし、顧問の先生の名刺なども見せてほしい。
いったん、引き取ってもらった。
次の週、またAさんが、今度は、昨年のプログラムと広告依頼書を持参してくれた。
初めてのお金集めは大変だ。
しかし、高校1年生の女生徒を一人で、あちこちのお宅や商店に、行かせるのは、どうかと思う。
しかも11月の夕方7時は、もう暗い。
だいたい、神戸高校の寄付集めは、怠慢なところが昔からあり、OB名簿を見て郵便で、振り込み用紙を送って来るだけが多い。
今回はそれに比べたら、コンサートで演奏する生徒たちにも、集金の苦労を経験させて、スポンサー無しに芸術は成り立たない、と肌身で分かってもらう、良い教育だと思う。
それにしても、二、三名で、電話でアポを取って、明るい時間にすれば良かったのに残念である。
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