昨日は始業式の学校が多かった。 休み明けの課題テストも終わってしまった所もある。
短い三学期ですが、お休み気分を切り替えて、スタートしましょう。
曖昧な国、日本
日本文学研究家のドナルド・キーン先生は、不明瞭なのが日本語です。と述べられている。
その例として、キーン先生は若い日本語学生だった頃、日本人の友達に手紙を書いた。
「私は五日間病気でした」
すると、はっきりし過ぎて日本語らしくないので、こう直すように言われた。
「五日ほど病気でした」
これなら、その後こんな会話しても安心だという。
相手「お見舞いに、行けなくて、すみません」
「いやいや、五日ほどといっても、寝込んだのは三日くらいなんです」
などと、見舞いのお断りなど、相手の立場を残しておくのが美徳とする。
また、小説家などの多くが、女性を描く際「26、7歳の… 。 一見、浅黒く、意外に色白の…」などの表現を好んだ、という。
26歳、色黒、などと決めてしまっては、読者の想像力が湧かないからだそうだ。 読者は小説を読んで、それぞれの女性を思い描く、その余地を残すのが、良い作品だという。
確かに私たちの日常の生活でも、あえて、断定しないことが多いし、相手の顔色を見ながら、「正月にはもう滅多にモチを食べ……ますよね」とか、途中でモチ好きに変わってしまう。
日本は国土が狭い、島国で、農耕民族だ、そのうえ地震・台風などの災害も多い。
集団の和を重んじないと、やって行けない。
主張するには、まず相手の感情を、なだめねばならない。
だから、終助詞の「〜ね」などで、探りながら、合意形成する。
また、「安倍さんが良いです!」と主張せずに「安倍さんで良いじゃないですか?」と疑問形にしたり、「安倍さんで良さそうです」と推量や伝聞の形をとる。
要するに、相手の立場を先回りするのだ。
小説の内容もまた、スジのない、随筆のような「私小説」というか、日常雑感が好まれるのである。
…と、私も今日のブログは、オチ無く終わったりしそうでも、いいじゃないですか?
年賀状、ありが
とうございました。