ドナルド・キーンさんを悼む

ドナルド・キーンさんを悼む

先月、日本文学研究家のドナルド・キーンさんが94歳で逝去された。

テレビの追悼番組を ( 2012年の再放送 )なぞりつつ、私の整理に書いておきます。


キーンさんは、1925年にニューヨークで生まれのアメリカ人。しかし2011年の東日本大震災をキッカケに日本国籍を取得して、日本人として亡くなった。

キーンさんは秀才で、飛び級して16歳で ハーバード大学に入学した。

学生の頃、源氏物語を英語で読んで感激して日本文学を専攻した。

第二次世界大戦中は、通訳として日本人捕虜の取り調べを担当。 だが、捕虜と雑談するのが多かった。

例えば、ゼロ戦のパイロットでのちに作家、豊田穣さんとは、捕虜として出会い、友人になった。

キーンさんは、近年、日本文学における日記文学について研究しているが、その原点は戦時中の日本兵の日記を読んだことだ。


日本兵たちは普段なら、客観的な起床時刻や天候など、時に 威勢のいい「玉砕覚悟」とかを書いた。

上官に読まれることを考えていたからだ。 けれど、明日は負けて戦死と覚悟すると、妻や子供たち親に、自分の考えや無念さを赤裸々に書いた。

キーンさんが読んだ戦死日本兵たちの日記には、家族に届けてほしいと英語で依頼が記入されているものがあった。


それらの日記には「土佐日記」「紫式部日記」などと同様の日本人らしさが見られる。


また、室町時代、足利義政の銀閣、東山文化に、現代の我々日本人が伝統的な「和室」として思い描く共通点があると言う。

つまり「上は天皇陛下から庶民に至るまで」
質素な生活の方が好きと言うことらしい。

西洋の「ノイシュバンシュタイン城」や「ベルサイユ」など豪華な住居では居心地が良くないのだ。


キーンさんは、日本人の特徴として、
美意識、 質素、勤勉、親切、清潔を
あげる。

美意識の高さは、平安朝貴族文化から、質素は室町時代の武家から受け継がれた長い歴史がある。

もちろん、日本も明治から昭和の時期に植民地主義で、戦争を引き起こしたが、これは、当時のヨーロッパ、ロシア、アメリカでも見られた事である。

逆に、中国や朝鮮半島では、封建的で旧弊な体制が維持されていた。


そんな日本の良い伝統を守るために、日本語を大切にして、もっと勉強して欲しいと、キーンさんは主張する。

例えば「源氏物語」を日本人の多数は、古文の授業で学び、品詞分解などで、嫌になってしまう。

キーンさんは、現代文で通読することの方がいいと言う。

「源氏物語」は英語では4度目の翻訳、その他の言語にも翻訳され、世界最古の小説文学と考えられて多くの人々に読まれている。

光源氏という主人公の、キャラクター。 現れては消える、多数の個性的な登場人物。
年代の流れとともに、喜怒哀楽して成長する主人公。
54の章ごとに和歌が詠まれ、美しい言葉で語られる宮廷のロマンス。

千年前に書かれたとは信じられない素晴らしい作品だ。

また、キーンさんは、東北大震災のときのエピソードに触れる。

ニューヨークでは、地震のあとすぐに、募金が10億円を超えた。 そしてアンケートによると、85パーセントのアメリカ人が、日本人に好意的で助けるに値すると答えた。

日本国内では、被災地で暴動や犯罪が少なく、国内で他の地方からの救助が積極的で、災害ボランティアが見られた。

唯一残念であった事は、福島原発事故のあと、いくらかの人々が、日本から逃げ出した。
また、安全性が確認された福島産の野菜などに風評被害がある。

これらは、自己中心的なもので「わたしは賢い、金持ちだ」ということで、恥ずかしい。
そんな人は日本人をやめて、外国に行けばいい。

キーンさんは珍しく強く非難した。 キーンさん自身は才能に恵まれている、そうすると道徳的な高さ、他人のためにどれだけ働いたかが、重要だという。



キーンさんは、人生最後の日々を日本国籍をとり日本人となって過ごし、日本に貢献した。

キーンさんは、日本人が出来なかった、日本文学史をまとめた。 日本の作家の作品を多数翻訳して海外に働きかけた。

その結果、川端康成のノーベル賞授与につながった。 谷崎潤一郎が長生きして、三島由紀夫が自殺しなければ、この二人も授与されたはずだ。

文学作品などが外国で紹介され、ノーベル賞などを与えられることは、日本の評価が高くなる。

教育や旅行などで外国人が、日本に来る。経済的にも評価が上がるなど、日本に役立つ。

そして、一流の文学は、世界で最も強いと主張する。 



「眠狂四郎シリーズ」( 映画、テレビにもなった。最近では 田村正和さん主演 )で有名な柴田錬三郎さんという、慶應義塾大学医学部出身 ( のち文学部へ )の作家がいる。

彼は、第二次世界大戦中に台湾沖で乗っていた船が、撃沈され半日くらい漂流して救助された。

その様子を 三田文学に書いているが、仲間の兵士が一人またひとりと、力尽きて海に消えていく。

柴田さんは「文学をやってなければ私も死んでいただろう… 」と回想している。

死の恐怖や、生きたいという欲望から離れて、無にならねば、波間を正気で漂っていられない、という。それには医学ではなく文学があったからだ。

キーンさんは、それらのエピソードを披露して、戦時中や震災など、非常時に人間を支えてくれる文学の力を強調された。