愛嬌ということ

 

 

愛嬌ということ
先生たちも、人間だ〜、あたり前か!
生徒さんに「手伝ってー」と言われるとうれしいものだ。
出来る子、出来ない子は、あまり関係ないですが、
だけど、甘えるのが上手な人はいる。
そんな子は、漢字や計算など簡単なことは、聞きませんね。
むしろ、自分のことを語り始めます、
今日学校で、歴史新聞を作った。
授業中はここを仕上げたが、
学校では「もっとレアな人物につけて書きなさい」と書き直しを言われたが「どうしようかなぁ?」相談してくる分けです。
「で? 誰について書いたん ?」
「秀吉。みんな秀吉や信長、書いていたよ」
「 確かに レアじゃないけど … 」
「 じゃ、誰がいいの ? 」
と、子どもさんながら、自分から流れを作っている!
仕方ないが、手伝ってしまう。
と、たとえば、浅井長政の、資料をゴッソリ渡してあげることになるんです。
「戦国武将でもね、 浅井長政の奥さんは、信長の妹だ。 ところが長政は義理のお兄さんの信長を裏切って、挙げ句、負けて自決する」
「 …。」
「それから、浅井長政には残された三姉妹がいて、ひとりは秀吉、ひとりは秀忠の嫁になる」
「 豊臣さん 対 徳川さんや!」
「ドラマチックやろ」
「ウンウン 」
ときどき、合いの手を入れながら、おとなしく聞いてくれるから、つい気持ち良く話してしまう。
ここまでコミットしたら、
「下書きができたら持っておいで」
となる。
大体、塾の先生なんて、世話好きなんです、
人間が好きでないと、やってない。
 人間が好きだから、
大昔の中国古典「玉掻頭」にさえ三六行と載っているほど、
仕事の数は多いけど、塾の先生を何十年やってきたのだ。
しかし、どうなんでしょう?以前も、アルバイトの人や、今の若手の人たちは、仕事のあとの上司との食事もしない、「もったいなあ」と書きました。
実際、年配の方から、メシなり、何でも声をかけてもらえる、幸運である。
ふつう、年配の人は、人生経験が長いし、色々知っている。  人脈もある、お金もある。
そんな人は、若い人に時間を割いてくれることはまずない。 残り時間も少ないしね。
年長者が、若い人に声をかけるのは、見込んで、自分の仕事を手伝わせようという魂胆だろう。
年配の人は、仕事終わりに行くんだったら、部下とではなく、お金を払って気持ち良く、飲食させてくれる、愛想の良い居酒屋や聞き上手なバーを、幾らでも知っているでしょう。
だから、目上の人に声をかけてもらえたら、
「ラッキー!」
眼を輝かせてついて、行かねばなるまい。
ボクが、サラリーマンをしていたのは、バブル期なので、余計にそうかもしれないが、
商売でも、「何、何時、幾ら、」より、「誰と」が一番大事でした。
今でも、そうですね。
前もって契約をキッチリ文書にしたとしても、面倒くさい連中とは仕事をしたくないですよね。
電話一本、で決めて、詳細はメシを食いながら詰める。最高です。
コミニュケーション能力とか言いますが、そんな、大層なものや、ないんです。
愛想よくご挨拶ができる、子どもさんなら、みんなそんな素質はあるんですから、上手に伸ばしたいですね。
言うじゃありませんか「魚をあげるより、魚釣りを教えてあげなさい」