私の5時46分

私の5時46分

22回目の阪神地震の日がめぐってきた。あの朝をまとめてみる。
1995年1月17日、午前5:46、私はJR住吉駅北、甲南小学校の辺りに住んでいた。
ベッドから投げ出された衝撃で、目覚めた。 真っ暗で何も見えぬ。
ガシャガシャ、蛍光灯が割れた破片が顔といわずあちこち体にくっついていた。
スチールの小引き出しが、書棚から飛び出して、頭を打ったらしい。
顔面がジンジンしてヌメッとする。
何とか立ち上がり、雨戸を破った。 僅かな光でも部屋の中が滅茶苦茶だとわかって「ガス爆発か?」と思った。
となりの部屋から父が、這い出して、一階を目指した。
階段がない。
片手を支えてもらい、もう片方で手掛かりを探した。
やっと二人で階下に降りた。 下で寝ていた家内がテーブルと崩れた食器棚を乗り越えてきた。
足が痛い。割れた食器を踏んで血塗れだ。 靴を探した。 玄関は扉が傾いで開かない。
靴も取れなかった。 裸足のままで応接室へ行く。 掃き出し窓を内側からこじ開け、ようやく脱出した。
老夫婦が暮らす東の家はペシャンコ。 西隣からは何人か這い出そうとしていた。
裏の家の主人が妻と娘が箪笥の下敷きになっている、と大声で助けを求めていた。
なすすべもなく立ち尽くしていると、突然、電柱の変圧器が轟音をあげ、火を噴いた。
何時もなら、喧しい消防署のサイレンがまったく聞こえないのを不思議に思った。
「パジャマだけでは風邪ひくで…」父の言葉に促され、毛布を取りにギシギシ軋む家の中に戻った。 
足元が揺れたが、眩暈かな? と思った。
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今朝のテレビから

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