文楽春公演−妹背山婦女庭訓

昨夜の雨でどうやら桜も、はや散りかけだ。

桜の季節は春の文楽公演である。

初日の土曜日には行けず、日曜日の夜大阪日本橋の国立文楽劇場に出かけた。
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「妹背山婦女庭訓」(いもせやま おんなていきん)は奈良県の吉野川のほとりにある妹山と背山のことで物語の展開する場所。

庭訓は論語で、庭の教え、家庭の教育。 女子の家庭教育のこと。

町娘のお三輪さんがお姫様の振る舞いを正す場面があり、それで婦女庭訓。

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中大兄皇子 ( 天智天皇 ) と藤原鎌足が、蘇我入鹿を滅ぼした大化改新が題材。

1771年に近松門左衛門の弟子、近松半二が作った。 当時でも千年も前のことだ。 歴史物、時代物である。

妹山の雛鳥(ひなどり)ちゃんと背山の久我之助 ( くがのすけ )君、両家は、ロミオとジュリエットのように仲が悪い。

二人の犠牲で両家は仲良くなるが、若い二人は死後にようやく結ばれる。

歴史ファンタジーと悲恋の合わせ技。 たいそうヒットして、数年で歌舞伎にもなった。 機会があれば是非ご覧くださいね。
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S先生の思い出

前回、若いKさんに古典の世界を紹介したが、私が古典芸能に興味を持つきっかけは恩師のS先生である。
S先生は山形の鶴岡のご出身だ。 「農家の末っ子と生まれ、郷里に留まれない運命」を悟り、東京教育大学 ( 現在の筑波大学 ) 卒業。
小西甚一先生門下、国文学を修められた。
兵庫県教員に奉職。 県芦から神戸へ転任されて、お会いした。 爾来、40年のお付き合いをいただいている。
神戸校長をへて今は、高砂の私立H高校の校長を務めていらっしゃる。
今年は1月11日に国立文楽劇場でお会いした。 9(土) 授業、10( 日 )職員会議、11( 祝 )もお昼は出勤してようやく文楽と… ご多忙である。
さすが、東北人、先生は粘り強いのである。 
しかし、私たち生徒には褒めて伸ばす、を実践してくださった。
「伊勢 (物語 ) を通読したの学年で初めてだよ」おだてられて、また、読書。
こちらは受験勉強から小説に逃避しているに過ぎない。
S先生には教えていただくばかりのお付き合いだ。
私も若い生徒らにS先生の一万分の一でも、勉強の楽しみを伝えることができれば、そんな幸せなことはない、と今、考えている。
さて、国立文楽劇場、4月は「妹背山女庭訓」 盲目の天皇は「リア王」を、仲違いする両家の息子と娘の悲恋は「ロミオとジュリエット」を連想させる。
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文楽春公演-吉田玉男襲名

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文楽春公演-吉田玉男襲名
日本橋の国立文楽劇場に行ってきました。
今公演の目玉は、人形遣いの吉田玉男、襲名披露である。
玉女さんが襲名して玉男になるから、女が男にという文字ズラも、面白い。
昨年は住太夫引退の寂しい春公演だったが、今年は喜ばしいことだ。
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玉女さんは大阪生まれ、中学卒業後15歳で、すぐに先代玉男に入門している。それから48年目、晴れて、師匠のあとを継ぐ。
大陸的な、息の長い凄まじい修業だ。 
人形は三人で動かす。足が十年、左手十年、ようやく本体と右手の修業である。
歌手やタレントでは考えられない本物の芸能の世界だ。
ところで、玉女さんは先代とは、親、親戚でもない。 たった一人、文楽が大好きでここまで来たという。
文楽のこんなところが好きだ。歌舞伎では世襲制が主だ。 実力主義。親子でも、サボったり、下手なら追い越される。
さて、出しものは「一谷嫰軍記」( いちのたに ふたばぐんき )
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平家物語でもでてくる、源氏の武将熊谷直実( くまがい なおざね ) が平家の公達、敦盛 ( あつもり ) の命を守るため、自分の息子のクビを差し出す…
親子の情と、主君への義理の板挟みに、苦しむ、悲劇だ。
分かりやすいので、動画サイトで、探してみてください。 
阪神電車内でも…
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文楽の魅力に迫る!

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桐竹勘十郎さんといえば、あぶらののりきった、脂ぎったではないですよ、人形遣いである。 私は女を遣うときにその骨頂が出ていると思う。

昨年の夏の妹背山女庭訓の、お三輪なんて艶やかで、失恋の悲哀、歌舞伎なら女形である。

文楽は男も遣う、先週の菅原伝授手習鑑では、松王丸を遣っていたが、ご自身、あまり愉快な顔に見えなかった。 マア、私の見立て違いであろうが。。。

勘十郎さんは例の橋下市長との、交渉でも、マスコミ対応など熱心に当たられていた。
よくお話になる、大阪のオッさんといった感じである。 ワタシもむろんオッさんであるが。。。

芸も逸品、人当たり抜群の、勘十郎さんの映像があったのでご覧下さい。

ミンナ、勘十郎さんがスキになるの請け合いです。

竹本住太夫引退

文楽の続き。。。

今回の文楽春公演は竹本住太夫さん引退、というファンにとっては、惜しい、というかお疲れさま、というか重要な区切れ目でもあった。

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いったい、太夫にしても、三味線、人形遣いにしても、文楽は時間の感覚が普通ではないのである。

10年20年は若手、30年をこえてからようやく一人前。

たとえば、住太夫さんは1924年生まれ、戦争から生還して1946年22歳で遅い入門をしている。68年間の文楽生活をすごして89歳で引退、2012年に病気で倒れ、昨年いったん復帰したが。。。

。。。という感じなのである。 これは前回にも触れたように文楽が過去の継承を中心とした芸能であること。 つまりお客は何度も何度も繰り返しておなじ演目を見ているわけである。

「このまえの太夫のほうがうまかった」、「今日は三味線のだれだれが調子はずした」減点法で鑑賞されるから、演者は死ぬまで修行である。 

新たな工夫や、自分なりの個性といったものは、余程の天才か、修行年限の長い者しか許されない。 非常にストイックなのである。

前回の人間国宝、越路太夫さん引退の折、落語の米朝さん  ー   米朝さんにしろ人間国宝である  ー   がよくマクラに話していたが、歌手やタレントなら10年やれば先生、先生と大御所扱い、30年も活躍すれば大イバリであるが、文楽30年でようやく一人前、「エゲツない世界」である。

落語でも10年では、「とてもとても一人前とはいえない」芸事は修行が大変であると。。。

現代も同じようなモノである。 たとえば若手のホープ咲甫太夫を例にとってみると、
1975年生まれ、8歳の時、1983年入門、現在39歳31年目である、これで若手。

現在、文楽には歌舞伎のような世襲制度はない。 誰でも、文楽協会の試験を受けて技芸員になれる。 太夫、三味線、人形、好きな芸を選ぶことができる。

若者よ、30年、おなじ事をやる気はないかね。

もっとも、1月大阪公演2月東京、4月大阪5月東京、7、8月大阪、9月東京、11月大阪。 1年のうち7、8回東京、大阪の定期公演、地方公演をくわえるとヒマな月はない。 

公演が終われば、次の準備、練習と、「新聞読むヒマもありません」と住太夫さん。 

浮世離れした世界にどっぷりつかって、過ごす人生。 

すこしあこがれるが、アタシャやっぱーーーお客でぇぇぇーーイイわさ~~音譜

咲甫太夫さんの本。

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サインしてもらいました。

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今日のおすすめ図書はもちろん、竹本住太夫 文楽のこころを語る。 ゼヒ読んでみて下さい。

文楽のこころを語る (文春文庫)/文藝春秋

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